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少年時代、毎月、「少年倶楽部」を読んでいた。私の文学観の基本的な部分に、「少年倶楽部」の作家たちの仕事があったに違いない。
吉川 英治は『天兵童子』から読みはじめて『神州天馬峡』に夢中になった。
高垣 眸なら『まぼろし城』よりも『豹(ジャガー)の眼』。
軍事冒険小説としては平田 晋策の『新戦艦高千穂』。山中 峯太郎の『敵中横断三百里』。『亜細亜の曙』。空想小説なら海野 十三の『浮かぶ飛行島』。
佐藤 紅緑の少年小説は好きだったが、池田 宣政には心を動かされなかった。好きな作家、読むには読むが、まだ出ていない「少年倶楽部」が待ち遠しいとまでは思わない作家。こうした期待や選別から幼い批評意識が生まれなかったか。それぞれの作家を読んでワクワクしながら、それぞれの文体、文学世界の違いに気がつくようになった。
さらには山口 将吉郎、高畠 華宵、伊藤 彦造、斉藤 五百枝たちの挿絵が眼に浮かんでくる。河目 悌二の無邪気なイラスト、田河 水泡のマンガ。
やがて、少年小説から、大人の小説を読むようになった。
北林 透馬の短編で、はじめてエロティックな描写を読んだとき、少年の胸に驚きがあったと思う。(あとで読み直したが、少しもエロティックではなかった。)
江戸川 乱歩の『少年探偵団』を読まなかったら、ミステリーに関心をもたなかったに違いない。
はじめて文学作品を読んだのは、『我輩は猫である』と芥川龍之介の『黄雀風』だった。はじめて読んだ外国作家は、イエ-ツとキプリング。