1758 〈1977年日記 5〉

1977年5月7日(火)

ジュ-ル・ヴェルヌ。少年時代に、ヴェルヌを耽読した。
とにかくヴェルヌはおもしろかった。ヴェルヌの何が私を魅きつけたのか。
従姉のカロリ-ヌを愛した少年は、サンゴの首飾りを手に入れて贈ろうと考え、ひそかに家出を決行して「コラリ-号」に乗り込む。残念ながら、家につれ戻された少年は、母にむかって「ぼくはもう空想の中でしか旅をしない」といったという。
少年時代の私は自殺を考えたことはあったが、家出など空想もしなかった。実現できない空想は、はじめから考えない少年だったに違いない。あるヴェルヌの研究者は、この事件に、後年のヴェルヌの作品の構造にかかわるカギがひそんでいるという。たとえば、マルセル・モレは、Coralie が Coraline の、そしてCorail とColier をアナグラムと見ている。こういう暗合から、ヴェルヌの現実の船旅への憧憬があった、というより、言葉の暗示への執着と、それがもつナゾへの挑戦という、より強い感情につき動かされたのではないか、という。
へえ、そうなのか。少年時代の私が、ヴェルヌに熱中したのは、アナグラムに対する好み、ある言葉からすぐにべつの言葉を類推する性癖――ようするに、無意識にせよヴェルヌに似た傾向があったせいかも知れない。
千葉に移ってきた頃、地名の「新検見川」に Hemingway、稲毛を Ingeと読む、アナグラムめいた趣向を考えて、メモに書きつけていた。私はアナグラムに特殊なこだわりがあって、カザノヴァのアナグラムなどを見ると、何とか自分の手で解いてみたいと思う。我ながらバカげた願いだが。

「映画ファン」の萩谷さんに、原稿、書評2本をわたす。萩谷さんは、大学に在学中、「近代映画社」でアルバイトをしていたが、卒業後そのまま編集者として残った。おとなしい才媛といった感じ。映画ジャ-ナリストなのに、仕事が忙しくて、あまり映画を見る暇がないという。中田先生は、作家として小説を書きながら、芝居を見たり、コンサ-トに行ったり、映画の批評を書いたりして、多方面で仕事をなさっていますね。どうすれば、そんなふうに活動できるんですか。
こういう質問にどう答えればいいのか。返事ができなかった。

夜、「無法松の一生」(稲垣 浩監督)を見た。板東 妻三郎。
戦争中に見たこともあって、この映画を見ているうちに、園井 恵子が広島で被爆して亡くなったことを思い出した。そして、丸山 定夫も。

 

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