1977年5月3日(金)
しかし、人間が人間のぎりぎりの底に達することはついにあり得ない。人間は、自分自身の姿を、おのれの獲得する認識のひろがりのうちに見出すのではない。
何かで読んだこのことばは私をおびえさせる。
竹内 紀吉君から電話。上野に出てこられないかという。竹内君がこういうかたちで私を誘ってくれるのはめずらしいので、一瞬、仕事を投げ出してでかけようと思った。しかし、この原稿を片付けなければ動けない。残念。
午後、デュヴィヴィエの「舞踏会の手帳」(3チャンネル)を見る。これで十数回は見たことになる。それでもいろいろな「発見」があった。今回は、とくにトリビアルな部分に注意をむけたせいだろうか。
映画は――「クリスティ-ヌ」(マリ-・ベル)が北イタリアの古城のような邸に戻ってくるところからはじまっている。彼女が舞踏会にはじめて出たのが16歳、1919年6月18日。映画の最初のエピソ-ド(フランソワ-ズ・ロゼェ主演)の「ジョルジュ」は、「クリスティ-ヌ」の婚約を知って自殺するが、それが1919年12月14日。室内のカレンダ-はなぜか12月19日になっている。はじめてロゼェの演技を見たときは鬼気迫るものに思ったが、しばらく前に見たときには、あまり感心しなかった。今回見た印象は、ロゼェらしいブ-ルヴァルディエな演技だと思った。
ジュヴェのエピソ-ドがつづく。オ-プニングはジャズ。3人の悪党が、ナイトクラブの支配人、「ジョ-」(ルイ・ジュヴェ)の部屋に入ってくる。頭株がアルフレ・アダム。(数年後に、「シルヴィ-と幽霊」という戯曲を書く。)この部屋で、「ジョ-」は子分たちに指示をあたえる。背景にポスタ-や写真が貼ってある。ジョゼフィ-ン・ベイカ-のポスタ-、ダニエル・ダリュ-の写真があった。驚いたのは、そのポスタ-の横に、ヴァランティ-ヌ・テッシェの写真があったこと。そして、机のなかに、ヌ-ド写真が入っていた。
3つ目のエピソ-ドは、音楽家だった「アラン」(アリ・ボ-ル)が、「クリスティ-ヌ」に失恋し、息子を失ったあと、神に仕え、いまは「ドミニック神父」になっている。これは雨の日。
4つ目の「エリック」(ピエ-ル・リシャ-ル・ウィルム)のエピソ-ドで気がついたのは、「エリック」が「クリスティ-ヌ」をつれて山小屋に向かおうとするとき、スキ-のストックで高山をさし、あれがモン・ペルデュだという。直訳すれば「失われた山」ということになる。こんなところにも意味があったと気がついた。
5つ目の「町長」(レイミュ)の場面は、南フランスの喜劇と見ていいが、町の名前が出ている。前のエピソ-ドが冬山なので、コントラストとして夏という設定にしたのか。
6つ目、「ティエリ」(ピエ-ル・ブランシャ-ル)のシ-ンは、ほとんど全部のシ-ン、カメラを斜めに撮影しているようだが、じつはそうではなかった。「クリスティ-ヌ」を非合法に人工中絶を受けようとする上流夫人と見て、「ティエリ」が「サイゴンでおめにかかりましたね」という。「ティエリ」の妻(シルヴィ-)は、「サイゴンでは別荘もありましたよ」というセリフをくり返す。「ティエリ」は「妻」を殺す。この構図は「望郷」の密告者殺しのシ-ンとおなじ演出と見ていい。
この映画の上映時間は144分。戦後の「巴里の空の下セ-ヌは流れる」の、112分と較べてずっと長尺だった。オ-プニング(友人にすすめられて「クリスティ-ヌ」が舞踏会の「手帳」の人々の再訪を決心するまで)が15分ある。
ジュヴェのエピソ-ドが8分程度。アリ・ボ-ルのエピソ-ドが10分。ピエ-ル・リシャ-ル・ウィルムのエピソ-ドは7分。ピエ-ル・ブランシャ-ルのエピソ-ドが10分。
「クリスティ-ヌ」は最後に古城に戻るが、「ジェラ-ル」が湖の対岸に住んでいたことを知って、その遺児、「ジャック」(ロベ-ル・リナン)と会う。その「ジャック」をはじめての舞踏会につれて行くエンディングが5分。
この映画を見るたびに、どういうものか私自身の青春を思い出す。
デュヴィヴィエの「望郷」と「舞踏会の手帳」は、私の青春と切り離せない。いまからみれば、甘い、感傷的な作品に違いないが。
なつかしい名優たち。ロゼェも、ジュヴェも、ピエ-ル・ブランシャ-ルも、みんな鬼籍に入っている。アリ・ボ-ルは44年にナチの強制収容所で亡くなったし、ロベ-ル・リナンは、反ナチ抵抗派として銃殺された。マリ-・ベルも死んだのか。
夜、原稿(7枚)を書く。9時55分、微震。