本もあまり読まなくなっている。
しばらく前に鈴木 彩織が贈ってくれたアマンダ・リンドハウトの「人質460日」を読み直した。2008年、ソマリアで、イスラムの武装グループに誘拐されたカナダの女性ジャーナリストの手記。なまなかな小説よりも、はるかに迫力のあるドキュメント。武装グループは莫大な身代金を要求するが、カナダ政府は救出にうごかない。アマンダの家族たちは資金調達のために必死に動く。
アマンダは、低劣で、野卑なイスラム過激派に監禁され、拷問され、女性として最大の苦痛を強いられる。監視にあたった無知な少年たちにレイプされつづける。救出されたあと、PTSD(ストレス障害)の治療を受けて少しづつ回復して行くが、自分を庇おうとしてくれた無名のイスラム女性を思い起こしてイスラムを許す心境になる。
鈴木 彩織は「あとがき」で――
「怒りや憎しみを乗り越えようと決意した彼女がたどり着いた境地には、わたしたちを瞠目させ、争いが絶えない世界にも希望はあるのかもしれないと感じさせる光がある。」
という。
私は、鈴木 彩織に深い敬意をおぼえるが、日本のジャーナリストが、シリアで「イスラム国」に拘束され、処刑されたことを忘れない。この後藤 健二さんが「文芸家協会」の一員と知って、イスラム過激派に憎悪をおぼえた。
私は――どれほど崇高な理念があろうと、宗教、政治の名のもとに行われる拉致、誘拐、拷問、そして惨殺死体の状況をネットに流すような行動を許さない。
私が忌みきらう人たち。現代史にその名を刻まれている「偉人」たち。
たとえば、スタ-リン。ポル・ポト。チャウシェスク。ホ-ネッカ-。こうした人々の名をあげて行けばきりがない。ときどきこうした小さな独裁者たちの末路を思い出す。