映画、「微塵光 原民喜の世界」(宮岡 秀行監督)のなかで、私はつぎのようにしゃべっている。(野木 京子・採録)
広い部屋でね、三十人ほどの人が談笑なさっていたんですけれども、会の途中、もうそろそろおしまいになるかなという頃に、部屋の隅にいらした原さんがおひとりでね、他の人はだいたい椅子に座ってお話をなさったり、ケ-キとかティ-とかを召し上がっていたんだけれども、原さんおひとりが立っていらして、それで、私から見て右手の列のテ-ブルの後ろをゆっくりお歩きになって、それでどなたかの後ろに立たれたんですね。本来そこはね、僕はいま考えると、遠藤 周作がね、いつも座る席だったような気がする。(中略)それでどなたかの後ろに立たれて、肩にね、両手を置かれるんですね。そうすると、なんていいますかね、大人がね、赤ん坊をあやすような恰好になるわけです。それで、私は、おお、原さんはそういう形でね、なんというか、親しみを表していらっしゃるのかなあと思って、そのときはですよ、瞬間的に思っただけなんだけれども。それは、私は内村(直也)さんとお話をしていたときに、いつの間にか私の後ろに立たれて、それで同じように、両手を私の肩にそっ-と置かれるんですね。わたくしは普段そういうことをされたことが(ないので)、おや、どうしたのかな、と思ったぐらいで、それもすぐ離れるんじゃなくて、どのくらいですかね、たぶん五分ぐらいはね、だから随分そういう時間としては長いんですね、私の肩に両手を置かれて、それで私自身は途中から不思議なことをする方だなと思いました。(中略)
すっとまた私から離れて、私の左前のかなり、(中略)十人くらいおいたところにいた詩人のね、藤島宇内(うだい)という詩人がおりましたけれども、藤島の後ろに立たれて、また同じように両手でね、肩を撫でるんじゃなくて、肩に両手をほんとうに添える感じで置かれてたんですね。私は、原さんが藤島とね、特にお親しのかなという気もしたけれど、同時に、ああいう形で親愛の情をお示しになるというのは不思議だなあという気がしました。そのときはね、そのまま終わりましたけ
れども、程なくして原さんの訃を知りまして……
それから一週間か十日のちに、原 民喜は自殺している。
あれから数十年、もはや老いさらばえた私の肩にも、原 民喜がそっと手を置いてくれた感触が残っているような気がする。