山口 路子(作家)が、ご自分のブログで、私の評伝、『ルイ・ジュヴェ』について感想を書いてくれた。もう、2年も前のこと。
当時の私はこれを読んでうれしかったし、たいへんありがたかったのだが、お礼もいわなかった。もの書きになってから、自分の書いたものが読者に読まれるなどということが、いまだに信じられない。どうかしてほめられたりすると、うしろめたい気がしてならない。
私がこんな評伝を描いた理由はいろいろあるのだが、その一つについて、ここで書きとめておこうか。
ジュヴェの同時代に生きて、彼の芝居作りをつぶさに見届けたピエール・シッズは、ジュヴェに徹底的な「アルティザン」を見た。ジュヴェの「演出」をささえていたものは、中世いらいの職人が身につけてきた心がまえのようなものと見たのだった。
私が、ジュヴェを好きなのは、まさにこのところなのだ。ジュヴェは、芸術家としての自負はあったはずだが、実際の仕事、つまり舞台(イタ)の上では、いつも職人であろうとした。シモーヌ・ド・ボーヴォワールなどが、ジュヴェの悪口を書いているが、ああいうお利口さんには、ジュヴェのように、一つひとつ、小さなことに眼をくばり、実際に舞台で動いて、芝居をつくってゆく人間の苦しみも、よろこびもわかるはずがない。
シモーヌの戯曲など、まったく血の通わない愚劣なものばかりだった。
私は「戦後」からもの書きになろうと思ったひとりだが、もっとも早い時期にはじめて「ルイ・ジュヴェに関するノート」という評論を書いた。野間 宏が、雑誌に紹介してくれたのだった。むろん、まったく反響はなかった。
当時の私は、ジュヴェの出た映画、とくに『女だけの都』(ジャック・フェデル監督)や『舞踏会の手帳』(ジュリアン・デュヴィヴィエ監督)のジュヴェの「演技」に関心をもった。ある俳優が、どうしてあれほどの迫力で、人間を表現できるのか、という、まことに単純な疑問から出発したのだった。
映画を見るときに、映画評論家や、演劇史の研究者が映画を見る視点ではなく、そこで、「悪人」がどう表現されているか、ジュヴェという俳優の、静かで、ごく自然な「演技」がどうして、すさまじい迫力をもつのか。それを読者につたえるためには、批評の枠を越えなければならないかも知れないけれど、もの書きとしては、ぜひ手がけてみたいと思ったのだった。
そのあたりから、私はジュヴェに対する関心をそだてて行った。あえていえば、ジュヴェにたいする信頼と友情とさえいえるものだったと思う。それは、私自身にたいする信頼とアミチエでもあったような気がする。
私は、一時期、映画や舞台のための仕事、おもに舞台の演出を経験してきた。そして、挫折ばかりくり返してきたが、それでもジュヴェのことを忘れたことはなかった。
ジュヴェの評伝を書こうと思ったのは、ずっと後になってからだった。あるジャ-ナリストの書いた評伝を読んだが、この評伝は劇作家、ジャン・アヌイとの対立、確執を中心にして、孤高の芸術家としてのジュヴェの肖像を描いたものだったが、私の内部にあるジュヴェとはずいぶん違う感じがした。これを読んだとき、私はジュヴェを描く必要があると思った。
こうして書きはじめたのだった。