1696 私のキャサリン・マクフィー論【10】

【10】

このアルバムの全曲、作詞にキャサリン・マクフィーがかかわっている。これまでの作品とちがって、このCDはアーティスト、キャサリン・マクフィーのあたらしい出発と見ていい。
初期の「Unbroken」(全13曲)も、半数はキャサリンの作詞、または参加曲だったから、「ヒステリア」の全歌詞を書いた(または補作した)としても不思議ではない。
キャサリンらしい歌としては、(4)の「STRANGER THAN FICTION」からがいい。「私は気がついたわ、後悔していない」という。つぎつぎに「I FOUND……」というフレーズで、自分の孤独な心情を確認してゆく。
作曲は、「SMASH」の「ファースト・シーズン」(第8話)の「タッチ・ミー」の作曲者(ライアン・テダ-/プロデュ-ス)だった。(ドラマでは、「ボムシェル」の演出家が、「マリリン」のエロティシズムを強調するために、新しい作曲家に依頼して書かさせた新曲で、キャサリン・マクフィーの歌と、猟奇的なダンシングが、エロティックに表現されていた。

「タッチ・ミー」は、中国ポップス、チベットの歌姫、ダダワの歌に出てくる仏教の声明(しょうみょう)のような連祷(リタニー)がつづく。曲のト-ンは、ブリトニー・スピアーズの(アルバム「サーカス」)の「アムニジア」(記憶喪失)に近い。
(この「タッチ・ミー」の作曲家、ライアン・テダーただひとりが、「ヒステリア」の「ストレンジャー・ザン・フィクション」の作曲家として起用されていることは興味深い。)

キャサリンは、アルバム「ヒステリア」で自分が変わらなければと感じていたはずである。だからこそ、ファンがこれこそキャサリンらしい歌と思っている曲は歌わない。
それもこれも、ひとえにキャサリンが内省的で理知的な女性で、感受性のつよい性格だからだろう。表紙のトリプレックスの「ナゾ」のひとつは、私にはそう読めるのである。

「ヒステリア」は、過去の自分を一挙に変えようとする果敢な試みだった。

ただし、「ヒステリア」の弱点は、「SMASH」と、自分のめざすミュージックへの志向の、あまりに大きな乖離に根ざしていると思われる。

ここまで――私は「ヒステリア」が、キャサリンのどうしても妥協のできない、ぎりぎりの選択であることを認めながら、芸術家としては、むずかしい場所にわれから自分を追い込んだような気がしている。
新しい領域を手がけようとするキャサリンの意欲のはげしさと、そのために「SMASH」のイメージを必死に消そうとしている姿勢。私は、ここにキャサリンの芸術家としての誠実と危うさを見る。

 

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