175

冷戦時代の東ベルリン。
バス・ターミナルの国営売店に、ほんのわずかながら国産のおみやげ品が並べられていた。私ものぞいてみたが、品数はせいぜい15、そのどれをとってみても品質のわるいものばかりだった。
そのなかに、10センチほどの大きさで木綿の端切れの人形が眼についた。赤いホッペに頭巾をかぶった、エプロン姿の農民のオバサン。かわいらしい人形ではない。いかにも素朴な手づくりの人形だった。
売り子を探した。どこにもいなかった。誰ひとりおみやげを買う気にならないのだから、売り子がいなくても不思議ではない。その「オバサン」人形を手にとって、うろうろと眼を泳がせていると、美しいドイツ娘がやってきた。
「これをほしいのですが、いくらですか」私は訊いた。
その答えに思わず耳を疑った。10マルクという。
いくら素朴な人形でも、たかが木綿布の切れっぱしを大ざっぱに糸で縫っただけのしろものではないか。どんなに高く見積もっても、せいぜい1マルクが相場だろう。
私の顔に驚きのいろが浮かんでいたに違いない。美しい東ドイツの娘は、まるで「ブリュンヌヒルデ」のように尊大な顔つきで、買いたくなければ買わなくていいのよ、といった表情を見せた。傲岸だが、ほんとうに美しい娘だった。
私は黙ってその人形を置いて、その場を離れた。
しばらくして、またさっきの売り場に戻った。あの素朴な「オバサン」人形を買うことにしたのだった。私の胸には、これが、東ドイツの「現実」なのだ、という思いがあった。経済的格差ではまったく比較にならない西ドイツ・マルクを相手に一歩もひかない構えといえば聞こえはいいが、こういうかたちで旅行者からマルクをふんだくる根性が汚い。これが社会主義だと? ふざけやがって。
よし、それなら買ってやろうじゃないか。
この人形を買った。東ドイツで買ったただ一つのおみやげだった。

「オバサン」人形は、今でも変わらない姿をしている。笑顔も見せないが、長い歳月をへて、しっかりした働きもののオバアサンに見えてきた。しかし--あの美しい東ドイツの娘は、この「オバサン」よりも、もっとみにくく老いさらばえているだろう。そんな思いが私の内部に根を張っている。