1689 私のキャサリン・マクフィー論【3】

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      【3】

 

キャサリンがきわめて早熟だったことは、その才能の早い開花にあらわれている。
2005年、地元、ロサンジェルスで公演されたミュージカル、「アニーよ、銃をとれ」に主演。LAステージ・オヴェーションの「ミュージカル主演女優賞」を受けた。

私は、キャサリンが「アニー・オークリー」を演じたことに強い関心をもつ。

説明するまでもないのだが、『アニーよ、銃をとれ』は、「戦後」(1946年)もっとも早く登場したア-ヴィング・バ-リンのブロ-ドウェイ・ミュージカル。
オハイオ州の田舎育ちの少女、「アニー・オークリー」は、女だてらに銃の早撃ちの名人で、「バッファロー・ビル」のサーカスに入って、アメリカ各地を巡業した。このミュージカルは、(今にして思えば)女性に対する性差別や偏見をはね返しながら生きた女性を描いたフェミニズムの先駆けと見ていい舞台だったが――私たちはベティ・ハットン、ハワード・キール主演の映画で見ている。
(『アニーよ、銃をとれ』は、もともとはジュディ・ガ-ランドの「アニー」で映画化される予定だったが、ジュディが体調を崩したためベティ・ハットンが起用された。女優、歌手としてむずかしい時期にさしかかっていたジュディは、これより先、「ブロ-ドウェイのバ-クリ-夫妻」でも降りたため、アステア/ロジャ-スに変更されている。この映画は、アステア/ロジャースのチームとしても失敗作で、日本では未公開に終わっている。)

ベティの「アニー」は、まだフェミニズムなどどこにも見られない時代だっただけに、「男まさり」で型やぶり、やたらに奇嬌で攻撃的な女性に対する「じゃじゃ馬ならし」がテ-マと見えたが、無名女優といっていいベティ・ハットンが、それこそ体当たりの演技で「アニー」を演じてアカデミー賞/ミュージカル音楽賞〔1950年〕をうけている。
2005年、キャサリンは「アニー・オークリー」で出発した。美貌のキャサリンが「娘役」(ジュヌ・プルミェール)をめざして出発したのは当然だが、「アニー」を演じたことから、二十代を通じて、あるレベルで一貫して「喜劇女優」(コメディエンヌ)として出発したことは幸運だったと考える。
それと同時に、ミュージカル女優としてのキャサリンが、「ブロンド・ボムシェル」と呼ばれたベティ・ハットンに近い「攻撃性」(Agressiveness)を見せていたと想像する。

キャサリンの「アニーよ、銃をとれ」は、現在のフェミニズムを背景にしていたはずで、「男まさり」の「アニー」ではなく、女としての自由と独立をめざして、そのぎりぎりまで張りつめた緊張を通して、あえてセックス・アピールを強調することを選ぶ少女として演じたと思われる。女としての欲求や願望、自分の夢を着実に実現しようとする「アニー」は、二十代に入ったばかりのキャサリンにとって、まさにフラワリング、あるいはブラッサミングというべき出発だったに違いない。(ついでにふれておくと、マリリン・モンローのミュ-ジカル、『ショウほど素敵な商売はない』のタイトル・ソングは、『アニーよ、銃をとれ』で使われているミュージカルの名曲である。)

めぐまれた家庭環境で育ったため、キャサリンは自分にいつも自信をもって、より高い地位や、目標に達しようとする姿勢を身につけた。つまりは――「アニー」のはるかな延長線上に『SMASH』の「カレン」が立っていると見ていいのではないか。

 

(イラストレーション 小沢ショウジ)