1683

松井 須磨子の「カチューシャの唄」は、島村 抱月・相馬 御風の合作。作曲は中山 晋平。

カチューシャかわいや  別れのつらさ
せめて淡雪 とけぬ間と  紙に願いを ララ かけましょか

「この唄をうたふ人は、雪の消えかかったロシアの広野に、生命のやうにうねり流れる一筋の川と、静(しずか)にその上に眠っている早春の月影とを想ひたまへ、その中にカチューシャの恋と運命とはあったのです」と島村 抱月はいう。
幼い私はそんなことを考えもしなかった。まして抱月と須磨子の悲劇についても知るはずもなかった。
「カチューシャの唄」は、喜歌劇「ボッカチオ」(大正4年)のアリア、「恋はやさしい野辺の花よ」からはじまる浅草オペラの隆盛期と重なっている。
1939年(昭和14年)に、田谷 裕三の歌を、浅草の「花月」で聞いたのだが、浅草オペラそのものは、もう姿を消していた。
この 「カチューシャの唄」の出現で、オペラの「その前夜」(大正5年)で「ゴンドラの唄」、翌年の「生ける屍」の劇中歌に「さすらひの歌」、「酒場の唄」が登場する。

行こか 戻ろか オーロラの下を
露西亜は北国 果てしらず
西は夕焼け 東は夜明け
鐘が鳴ります 中空に

これが「さすらひの歌」。

 

憎いあんちきしょうは おしゃれな 女子(おなご)
おしゃれ 浮気で 薄情ものよ
どんな男にも 好かれて 好いて
飽いて 別れりゃ 知らぬ顔

こちらは「酒場の唄」。ともに北原 白秋・作詞。中山 晋平・作曲。

 

こうした劇中歌は、「緑の朝の歌」(大正7年)、「カルメン」(大正8年)とつづく。日本のミュージカルの最初の萌芽と見ていいのだが、こうした曲は、私の少年時代にもまだすたれずに残っていたのだろう。
オペラの文句よりも、メロディーが、子どもたちにもおもしろかったのではないだろうか。