プーシキンは、ロシア語の創始者といわれている。彼の作品は今でもロシア人に愛されているだろう。
私はロシア語が読めないのだが、プーシキンのロシア語と、現代ロシア語は、それほど大きな違いはないと聞いている。だからこそ、ロシア人たちは、つい昨日書かれた作品として、プーシキンを読んで、心を動かされるのではないか。
しばらく前まで、フランスの子どもたちは、小学校に入ると、ラ・フォンテーヌなどを暗記させられると聞いた。フランス語のうつくしさを身につけさせることが目的という。
古典としてのフランス語は、現代フランス語の基幹と、さして変化していないためだろう。
数年前のことだが、現在の中国で、雲南省の幼稚園で使われている唐宋詩人のアンソロジーを見たことがある。イラスト付きだったが、唐詩選などから選ばれた名詩が、ぎっしりと並んでいた。私は心から驚いた。中国の子どもたちは、ものごころつくと、こんな詩を読んでいる!
ひるがえって、私自身はどうだろう。
大作家といわれる井原 西鶴さえ、まともに読みこなせない。
うっかりすると、幸田 露伴さえも読めなくなっている。