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というわけで、無謀にも、西鶴の「好色一代女」を読みはじめた。むずかしいのなんの。はじめから仰天した。冒頭の「老女隠家」の「目録」(内容の紹介)は、

都に是(これ)沙汰の女たづねて むかし物がたりをきけば 一代のいたづらさりとは うき世のしやれもの 今もまだうつくしき

「大矢数」の跋に「自由」ということばを見つけて驚いたが、「好色一代女」の「舞曲遊興」にも、

清水(きよみず)の はつ桜に見し 幕のうちは 一ふしのやさしき娘 いか成(なる)人の ゆかりそ(ぞ) 親は ~・
あれをしらずや 祇園町のそれ 今でも自由になるもの

 とあって、しばらくはこの時代の自由の観念について考えさせられた。しかし、小説としての「好色一代女」を読みこなすことは、私にはとうてい無理であった。
美女は命を断(たつ)斧と古人もいへり。この古人が誰なのか、見当もつかない。
ようするに、愛欲の道におぼれれば、寿命をちじめる。女の色香に心をみだすのは、美しい花が散ってしまった木が薪になるようなもの。ところが、女の色香に迷って、いのちをちじめるのは愚の骨頂。
いつだったか、京都の西嵯峨に行ったことがあったが、梅津川をわたった。たまたま、いかにもファッショナブルなスタイルのイケメンが、恋にやつれきって、これから先も思いやられる様子で、自分は実家の跡もつげない、と親に連絡をとったという。どうやら、色欲におぼれすぎて、やつれ果て、若死しそうなかっこうをしていた。
自分、、育ちもよくて何ひとつ不足のない暮らしをしてきたけれど、あれやこれやと色に狂って、とうとうインポテンツになってしまった。それでもまだまだ、この川の水のように、エジャキュレートしたい、という。

これを聞いた友だちは驚いて、オレは女のいない国に行って、のんびり暮らしたい、といった。

片方は、今にも死にそうなのに、女のことが思いきれない。ところが、もう一方は、女にはあきあきしたから、女のいない国に行って、せめて長生きしたい。そして、この世の移り代わりを眺めていたい。

原文で、わずかに10行。これだけのことを理解するさえ、ひどく時間がかかった。やっとこれだけ読んで思わず笑ってしまった。自分の無学をふくめて。

すごいね。「女のなき国もがな、其所に行て閑居を極め惜き身をなからへ、移り替れる世のさまざまを見る事」という。

女のいない国に行って、せめて長生きしたいなどとは思わない。
だから、こんなつまらないブログを書いている。(笑)