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【7】

 

ガルボと並んで、ハリウッド黄金期のスターだったマルレーネ・ディートリヒは、「自伝」のなかで、ガルボに言及している。
フランスの映画スター、ジャン・ギャバンは、1939年、ナチス・ドイツの侵攻でパリが陥落すると、すぐにアメリカに亡命した。アメリカに渡ったギャバンを助けたのは、マルレーネ・ディートリヒだった。ディートリヒはたちまちギャバンに恋をした。
同棲したブレントウッドの邸宅の隣りに、あくまで偶然だが、ガルボが隠棲していた。ガルボはそれぞれ国籍も違うふたりの大スターが同棲していると知って、好奇心にかられたらしく、ふたりの動静をさぐった。ふたりの夜の生活ものぞきにきた、という。

マルレーネ・ディートリヒらしい皮肉がこめられている。同時に、悪意も。
ディートリヒは、ガルボが結婚せずに、スピンスター(オールド・ミス)として生きたことを嘲笑して、無名時代の彼女が、監督(スティルレル)に犯されて、悪疾をうつされたためと書いている。

ガルボは引退後も、依然としてエニグマでありつづけた。

「グランド・ホテル」(1932年)に、ガルボらしいセリフがある。

 

あたし、人生がこわいんです……
あたしは誰も愛していないの。

私は、スクリーンで私のすべてをさらけ出しています……それなのに、どうしてみんなは私のプライヴァシイを侵害したがるのかしら。

ほんとうのところ、私自身を表現できるのは、「役」を通してであって、ことばではいいあらわせないのです。だから、どうしてもインタヴューを避けてしまうのよ。

 

ガルボには、宿命観があるのか、運命論者めいた口のききかたをする。

私は、自分がしあわせ過ぎると思っています。

べつに理由もないのに、幸福でいられるなんて、なんてすばらしいことか。

映画のなかで一度も笑ったことがなかったが、「ニノチカ」(1939年)で、はじめて笑ったので、世界的な評判になった。