【19】
私は、毎日のように、「近代文学」の人々に会って、色々な話を聞くことで、勉強をつづけてきた。それは、安部君の場合もおなじだったろう。
私は安部君に自分と似たような魂、まぎれもない詩人を見たのだった。
ただし、はじめから違っていることにすぐ気がついた。彼は、天才だったが、私は生意気な文学青年だったこと。この違いはどうしようもない。
安部君は、たとえば、日本の文学、とくに短詩形の文学に、まったく関心がなかった。私は、中学生のときに、久保田 万太郎の講演を聞きに行ったり、毎月、歌舞伎座で立ち見をしたり、雑誌なども手あたり次第に読みつづけるような文学少年だった。だから、お互いの違いから、いろいろと話題は尽きなかったのだと思う。
音楽についても、まるで趣味は違っていた。
戦後すぐに、アメリカ占領軍が、ラジオ、FENの放送をはじめたとき、私は、はじめてジャズを聞くようになった。ほとんど、ラジオにかじりついていた時期がある。
のちに、私はディジー・ガレスピイや、ボブ・ディランといったエッセイを書いたり、最近も、20年代のリビー・ホールマンについて書いた。しかし、安部君はそういうことがなかった。
ある日、私の家に遊びにきた彼に、私は、レコードを聞かせた。グラディス・スウォザウトの「カルメン」だった。Tenor は、ローレンス・ティベット。
戦後、もっとも早く出た赤盤のアルバムだった。私が自分の原稿料で買ったレコードのなかでは、唯一のオペラだった。
聞き終わった安部君は、まったく何もいわなかった。
私の母が、おみやげに、白米を2合ばかり、新聞紙につつんで、わたしたとき、安部君は、うれしそうに礼をいって帰った。
私は、大宮駅の西口まで送って行ったが、最後まで「カルメン」の話はしなかった。
安部君は、いつもシューベルトの歌曲、それもゲルハルト・キッシュを聞いていた。