翻訳家として、野沢 玲子はいい仕事をつづけてきたと思う。
最後の仕事は、この秋に出ることになっていたとか。その出版を見ずにこの世を去ったのだから、さぞ無念だったに違いない。
野沢 玲子の訃報を聞いたとき、彼女の訳した本を読みたかったが、すぐには見つからなかったので、エッセイをいくつか読み返した。
エッセイの一つに、野沢 玲子は書いていた。
大学時代から、ずっと執着している作家がいる。あちらがわとこちらがわでさまよい続けながら創作をつづけ、最後はやはりあちらがわに行ってしまったイギリスの名女流作家、ヴァージニア・ウルフだ。
2003年に書かれたエッセイ。だから、玲子はまったく「晩年」ではなかった。だが、彼女は、こうした「晩年」を心に刻んで生きつづけていた芸術家だったのか。私は、このエッセイを読み返して、何も気づかなかったことを心から残念に思った。
玲子さんは、ヴァージニア・ウルフといっしょに、「あちらの世界に行く一歩てまえの意識を満喫しながら」亡くなったのかも知れない。
このエッセイの末尾に――
晩年(っていつから?)は、彼女とともに、あちらの世界に行く一歩てまえの意識を満喫しながら死にたい、というのが、わたしの願望である。
欲を言えば、ウルフの小説「波」をいつか芝居にしてみたい。いつだったか、それを言ったときの中田先生の目をまんまるくされたお顔が、満月に重なった。
「火星を見ながら思ったこと」
いつだったか、きみがヴァージニア・ウルフをあげたとき、一瞬、「波」を脚色してみようか、そんな考えが私の心をかすめた。しかし、まだ、「不思議の国のアリス」も上演していなかったし、私たちが芝居をつづけられるかどうか、それさえもむずかしかった。
ヴァージニア・ウルフ劇化など、夢のまた夢だったが。
「もう一度お芝居をやりたいわね、先生」
きみは、遠くを見るまなざしになる。
「いつか、きっとね」
私にもおなじ思いがあって、それ以上何もいわなくても通じあえるのだった。
しかし、私たちの芝居は実現できなかった。
ただ、「波」の1章をえらんで、それぞれのモノローグをならべて、ドラマのエクストレ(抜粋)として演出することは不可能ではない。
当時の私は、そんなことも考えた。私のクラスは、どんなナンセンスなことでも「アイディア」として、それも「誰も試みそうもないアイディア」として押し切ってゆく自信があったのだが。 (5)