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かなり長い期間、ある翻訳家養成のクラスで教えていた。このクラスから、多数の翻訳家が出た。

その後、安東 つとむの努力で、私は別のかたちで文学講座をつづけた。ほぼ同時に「SHAR」というクラスをはじめた。野沢 玲子はそのメンバーだった。
私の講座、クラスにきてくれた人には、すでに翻訳家として知られている人たちも多かった。私としては、「SHAR」での勉強では、もう少し違うかたちでクラスの人々の才能を伸ばして見たかった。

生徒の大半は若くて魅力的な女性だった。私はそんな女性たちに囲まれるのが好きだった。ただし、私の彼女たちはまず才能があって、美しくなければならない。
女性たちの集まりによく見られる、あの絶望的な嫉妬や、そねみ、羨望などをもたずに、お互いにのびのびとした友情や、同志愛といったものをもつこと。
私のクラスにきてくれる女性たちが、ごくありきたりのアンチミテ(親密さ)以上の、何かを得たほうがいい。

才能があって、おまけに美しい女性たちに囲まれることが幸福でないはずがない。野沢 玲子も才能があって、美人だったし、もっとすばらしいことに、ゆたかな感性を身につけていた。玲子が大学で,演劇をやっていたことを知った。
翻訳のことを話題にしたことはほとんどなかった。話題は、いつもきまってニューヨークのオフ・ブロードウェイのこと、音楽のこと、ワインのこと。

「いつかお芝居やりたいわ。やりましょうよ、先生」
玲子は私の顔をみるというのだった。
「うん、そうだなあ」
私のクラスではいささか場違いな話題だったが、遠い時間に身を戻すことで、つかの間、お互いの夢をたしかめようとしていたのかも知れない。

戯曲を翻訳すること、できればそれを実際に舞台にかけること。
途方もないアイディアで、ふつうの市民講座程度のレヴェルなどでは考えられないことだろう。しかし、私はクラスにきている人たちに、実際に芝居をさせるという思いつきに、自信というかはっきりした成算があった。

私は、みんなで戯曲を翻訳してそれを実際に舞台にかけようと考えた。
最初に、アリス・ガーステンバーグの一幕もの、テネシー・ウィリアムズの「罠」をやってみよう。

野沢 玲子は、私の考えにはじめから賛成してくれたひとりだった。
彼女たちと「夢」を語りあうことがなかったら、私の人生は、なんと退屈で、みじめなほど貧しく、灰色だったことだろう。こういう「夢」を、おのれの魂のなかに、そっともち続けることができる人は、やはり幸福なのではないだろうか。

長いこと小劇団に関係して、だいたい頭のわるい女の子ばかり見てきたおかげで、確信したことがある。頭のいい女性は、例外なくいい女優になる素質をもっている、と。
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