ひやかし。
廓のなかを歩く。顔見世の女をながめるだけで、登楼しない。
江戸時代、吉原の近くにあった紙漉場の職人が紙を水に冷やしておいて、廓をひとまわりして帰ると、紙がほどよくひえていたことから。『嬉遊笑覧』に出ている。
いまでは吉原遊郭を知っている人もいないだろう。少年の私は、吉原をひやかしにつれて行かれたことがある。むろん、登楼したことはない。ひやかしただけである。
ところで、ひやかすの「か」が気になる。やる、やらせる、とおなじで、やらかすの「か」が気になるように。
こういう用法は、国語学者の先生に訊けば簡単に説明がつくかも知れない。私としては、このことばには、自分を少し切りはなして、どこか自己戯画化めいた感じがあるような気がする。
別のいいかたでは、素見。昔の小説を読んでいると、ぞめき、と、ルビがふってあったりする。