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江藤 淳のこと。ある日、内村 直也先生から電話があった。江藤 淳という優秀な人がいるのだが、アルバイトで翻訳をしたいといっている。慶応の後輩なんだよ。すまないが、きみ、力になってやってくれないか。
すぐに江藤 淳に会った。場所は神田の「小鍛治」という喫茶店で、会った瞬間に、聡明で、ひどく老成していて、まるでトッチャンボウヤのようだと思った。私たちの話はハーバート・リードからコンラッド・エイキンまで。じつに多彩な話題が出たが、彼は博識だった。ただし、私はこういうすぐれた若者が私のように俗流ミステリーの翻訳をすれば苦労するだろうと思った。
その日、まず「早川書房」の編集者だった都筑 道夫に紹介した。このことは、後年、都築自身がエッセイに書いている。福島 正実にも紹介したが、福島ははじめから江藤君とはソリがあわなかった。結果として、江藤君は翻訳家にならなかったが、江藤君のためにはそれでよかったと思う。
晩年の江藤 淳は高井 有一に語ったという。
「六十歳を過ぎてそれ以前のものを凌駕する作品を書いた人はいない」。
本人がそういうのだからたぶん間違いではない。