私にはいつも「好きなヒロイン」がいた。
どれほど多くのヒロインにめぐりあってきたことか。「ナスターシャ」や「ソーニャ」たち、あるいは「エマ」ヤ「ジャンヌ」たちにめぐりあうことがなかったら、私の人生はどんなに貧しい、あわれなものになっていたことか。
彼女たちの一人ひとりは、けっして私の期待を裏切らない恋人たちだった。
むろん、私が好きになったヒロインたちは――現実の恋愛とはなんのかかわりもない、いわば夢の造形といったものだった。たとえば、映画のヒロインたちに対する関心は、そのまま女優に対するあこがれや、性的な関心と切り離せなかったけれど。
映画で思い出すのは、「不良青年」のダニエル・ダリュー。
ダリューは、戦前のフランス映画を代表する美女だった。「不良青年」(1934年)はもっとも初期の映画で、はじめての主演作といっていい。内容は、つまらないボーイ・ミーツ・ガールもので、もう覚えてもいないのだが、まだ、17歳の彼女が、パリのアパッシュふうに男もののスーツを着こなしていた。ディートリヒの男装も見たことがなかったので、ダニエル・ダリューの妖しい魅力に思わず息をのんだ。
後年、私が「男装の女性史」を書いたのも、このときのダニエルの姿が心に刻まれたせいだろう。ほんの数カットだが、シガレットを口にくわえてこちらを見るまなざし。その彼女を思い出すと、いつも幸福になった。
戦前の「暁に祈る」や「禁男の家」など、繊細で、どこかはかなげな美少女だったダニエルは 戦後、「赤と黒」、「チャタレー夫人の恋人」など、シックでエレガント、ソフィスティケートながら、しかも強烈な性格をもつ女性に成熟して行く。
戦後、対ドイツ協力派として執拗に左翼の攻撃にさらされたが、ダニエル・ダリューはみごとに復活する。その後は、国際的な大スターとしてヨーロッパ、アメリカの映画に出た。
さすがに晩年はワキにまわったが、シャンソン歌手としても独自な世界を切り開いた。ダニエル・ダリューのシャンソンは深みがあって、人生でさまざまな経験をかさねてきた女でなければあらわせない何かがあった。その意味で、私はシャントゥーズ・レアリストのひとりと見ている。
パリの「ソワール」のビルの横の坂道で、一瞬、私の横を通り過ぎていった車にダニエル・ダリューが乗っていた。
私は、茫然として走り去って行く車を眺めていただけだが、その日いちにち、幸福だったことを思い出す。
