庄司 肇を紹介してくれたのは、福岡 徹だった。産婦人科の医師。庄司 肇とおなじく「文芸首都」で小説修行をつづけ、作家としての代表作に乃木 希典の評伝「軍神」がある。
断っておくが――私は福岡さんに紹介されて、庄司 肇の恩顧をこうむったというわけではない。「文芸首都」という雑誌にまるで関心がなかった。千葉県在住の庄司さんが同人雑誌を主宰していることも知らなかった。したがって、私は庄司 肇に私淑するとか、影響を受けたなどということはまったくなかった。
私は庄司 肇とはまるで違った文学観をもっていた。しかし、庄司さんのおかげで、氏の周辺にいた人形作家の浜 いさを、作家の高木 護、竹内 紀吉、宇尾 房子、佐藤 正孝のみなさんを知ることになった。こうした人々を紹介してくれたのが庄司 肇だった。その後、竹内 紀吉、宇尾 房子たちと親しくなったが、それだけに、私は庄司さんに恩義を感じていた。
ずっと後年になって、庄司さんの「日本きゃらばん」に書く機会を与えていただいた。私が長編「おお、季節よ、城よ」を書いたのも、庄司さんが「日本きゃらばん」に書く機会を与えてくださったおかげだった。
中村 俊輔の「真説 真杉静枝」のこの部分を読んで、庄司さんの風貌を思いうかべてなつかしかった。と同時に、あらためて私と庄司 肇の考えの違い、考えかたの違いに気がついた。何が決定的に違うのか。
(つづく)