『収容所』は、80年代に駐日ポーランド大使だったルラッシュの回想。いまでは誰も読まないだろう。しかし、いま読んでもけっこうおもしろい。
ズジスワフ・ルラッシュ、1930年、ポーランド生まれ。ワルシャワ中央計画統計大学で、経済学を専攻。54年、統一労働者党(共産党)中央委員会に勤務。やがて、56年に外国貿易省に入る。優秀なエリートだったに違いない。
81年、駐日ポーランド大使として赴任した。当時、ポーランドはヤルゼルスキの軍事政権に対してワレサ(ワレヤンサ)を中心にした「連帯」が、はげしい抵抗をみせていた。イデオロギー支配の恐怖にようやく亀裂が走りはじめる。
ルラッシュは、日本に赴任した81年のクリスマス・イヴに、アメリカに亡命した。あまり話題にならなかったが、冷戦のさなか、共産圏のポーランド、ヤルゼルスキ体制を根底から揺るがす事件だった。翌年、国家反逆罪で、欠席裁判ながら、ワルシャワの軍事裁判で死刑を宣告された。その後、共産主義ポーランドが崩壊してしまったから、こんな軍事裁判も、一場の笑劇に終わった。
『ルイ・ジュヴェ』を書いたとき、ジュヴェのポーランド巡業の時期のポーランド情勢の参考になるか、と思って読んでみた。むろん、ジュヴェのことなど一か所も出てこない。評伝を書く。ときにはずいぶん遠まわりもしなければならない仕事なのである。