夏の暑い盛りに、私は遊佐 幸章に会いに行った。
彼は夫人を介護する日々で外出もままならないため、私が千葉から会いに行ったのだが、お互いにすぐにみわけがついて、再会をよろこびあった。
なにしろ、68年ぶりの再会で、お互いに見るかげもなく老いさらばえていたが、会ってみれば、お互いの境遇や、戦時中の悲惨な生活、共通の友人たちのことなど、話はつきなかった。
お互いの話題は、私たちが経験したすさまじい空襲や、おそろしい飢餓のこと。
その後の遊佐は、東京の友人たちの安否を気づかいながら、敗戦前後の時期、すさまじいインフレーション、食料難、親族たちに冷眼視され、傷つきながら、文学作品を読みつづけ、音楽に対する愛をたしかめ、イエスにたいする接近を経験する。
私たちの話題は、もっぱら少年時代のことに集中した。
戦争中に、仁科 周芳の指導で菊地 寛の「父帰る」を稽古したことがある。この芝居に私も遊佐 幸章も丁稚の役で出た。そんなことなども、今となってはお互いに楽しい笑い話になっている。
岩井 半四郎に関しては、遊佐と私しか知らない「武勲の歌」の数々も、いまとなっては、故人をしのぶコント・ドロラティクとして笑いながら話せるのだった。
少年時代の友情が、自然によみ返ってくるようで、お互いに老年になってからこういう時間をもてることをありがたいものに思った。
(つづく)