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ユトリロの絵はかなり多く見てきた。
パリを愛して、パリの街角、名も知れぬ通り、家並みばかり描いた画家は多い。たとえば荻須 高徳。しかし、ユトリロは荻須 高徳とはまったく違う。
こうした見方は、不幸な人生を送ったユトリロへの憐憫とは関係がない。
ユトリロは、ときに点景的に人物を描く。通行人のように。ときにはそれが三人になる。男女のカップルと子どもひとり。あるときから、このことに気がついた。
さりげなく男女のカップルと子どもを風景に置いている。いかにもユトリロにふさわしい、というより、こういう巷をうろついて、この三人を描くために死んでいったのだという気がする。男女のカップルと子ども。これに気がついてから、冷たい、よそよそしいパリの風景、灰色の塀や、坂道の土の下にユトリロ自身が横たわっているような気がしてきた。そんな我にもない思いに、ふと胸をしめつけられる。
男女のカップルと子どもがぼうっと描かれているユトリロの絵を見ると、なぜか底知れない、不気味な、孤独を感じることがある。