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キスリングが日本で、はじめて知られたのは1926年だった。数年後に外山 卯三郎編『キスリング』という薄っぺらで、印刷もよくない画集が出ているので、たとえ僅かにせよキスリングが知られていたことは間違いない。
戦時中に本郷の古本屋で手に入れたが、お粗末な写真版のキスリングに魅せられた。空襲のときも必死に持ち出して逃げた。このときから、モジリアーニ、ファン・ドンゲン、キスリング、フジタといった画家の仕事に関心をもちつづけてきた。それは、やがてピカソに対する関心に収斂してゆく。
『ルイ・ジュヴェ』(第五部/第七章)で、マドレーヌ・ソローニュ(女優)にふれて、私は一行、「マドレーヌをモデルにしたキスリングの肖像画が日本にある」と書いた。
それ以上、私は何も書かなかったが、この絵は、1968年、世界最高の文学賞をうけた作家がその賞金で買ったとつたえられる。
この「マドレーヌ・ソローニュ」は、あまり人の関心を惹かないがキスリングの最高の傑作。その作家の「末期の眼」にどう映っていたのだろうか。