「春の序曲」が、日本で公開されたのは、1946年2月28日。
この映画で、美少女、ディアナ・ダービンがケーキを食べるシーンがある。
敗戦国、日本の食料事情は極度に逼迫していた。食料の配給がなかった。配給があっても、米の配給はなく、「農林2号」という、水っぽくて、まずいサツマイモが、2、3本だったり、ゴミまじりの片栗粉が、ひとり当たりオワンに一杯。たまに、米の配給があっても、一週間分か、せいぜい数日分しかないような非常事態がつづいていた。
安部 ねりの「安部 公房伝」のなかに私が1ケ所出てくる。
米の流通は政府の管理による配給となっていたが、裏取引の闇米を買いに「世紀
の会」の中田耕治と汽車で農村に出かけ、味噌漬けやタドンなどと一緒に行商し
たりもしていた。ある日手入れがあったが、公房と中田は、ゆっくり走る列車か
ら外へと飛び降りて警察の手を逃れた。 (P.89)
私が出てくるのはこの一か所だけだが、敗戦国の国民は食べられるものなら何でも手に入れようとしたのだった。配給の食料だけで、やがて餓死した判事がいたくらい。
「春の序曲」に話をもどすのだが――
私の記憶では――ディアナ・ダービンが、ケーキを食べるシーンに、観客席がどよめいた。羨望というよりも、むしろ驚きの吐息といったほうがいい。
まだ、ティーンエイジャーの若い娘が、目の前に出されたケーキを綺麗にカットして、こともなげに口に運んでいる。ほんとうに、劇場が沸いた。
私は、日比谷でこの映画を見た。劇場は超満員だった。戦後、最初に公開されたアメリカ映画なので、シーンの一つひとつ、カットの一つひとつが新鮮に見えた。
私は、戦前、「オーケストラの少女」を見ていたので、ディアナ・ダービンを知っていた。まだ、ロー・ティーンだった少女スターが、すっかり美少女に変身している。これにも驚かされた。 (つづく)