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2012年5月21日の月曜、朝早く目がさめたが、雨こそ降らねど曇りだった。それで思い出したが、今日は皆既日食が見られる日だったっけ。
どういうものか、ぼくは宇宙、天体に関心をもっているのです。

5月21日、九州南部から福島県の南東部にかけて、太平洋側で金環食が見られるというので、どうしても見たくなってきた。
なんでも、この日食は平安時代から数えて932年ぶりという。

ぼくが住んでいる土地は、よそが曇っていても晴れていたり、各地が雨なのに、こちらが雨になるまで、時間がずれたりする。あまのじゃくな土地なのである。
だから、今日は少しぐらい曇っていても、日食という天体ショーは見られるだろうと勝手にきめていた。
しかし、空はどんよりと曇っている。これでは、日本じゅうで日食が見られても、私の土地だけは見られないかも知れない。やっぱり困った。
わるい予想はきっと当たるもので、いよいよ月と太陽がかさなる瞬間がきても、雲が邪魔をして、何も見えない。こんなことなら、太陽を見るメガネなんか買うのではなかった。雲よ、早くそこからのいておくれ。

やっぱり、見えないらしい。月と太陽がかさなる瞬間の、そのすき間から太陽光がもれて、数珠状にかがやく。これはベイリービーズというらしいけれど、其れもみえない。

チェッ、おもしろくもねえや。

日蝕の金環食も見えず 躑躅萌ゆ

春逝きて 日蝕(は)え尽きんとす 雲厚く

曇天あはれ 金環食も見えざりき

ぼくはガッカリしたが、少年時代におなじような日食を見たことを思い出した。たしか昭和11年だったかな。こちとら、おん年、10歳。ガキ。

いまとちがって、日食だけを見るメガネなんぞどこにもなかった。切った板ガラスをローソクの火であぶって、くろいススをつける。それを目の前にかざして太陽を見た人が多かった。よく、目を痛めなかったなあ。網膜を痛めると、視野のなかに黒い斑点が出てきて、しばらくはものが見えなくなったりする。それでも、みんなはそのうちに癒ってしまうとおもっていた。
いくらガキでも、ぼくは太陽を直視したわけではない。写真フィルムのネガを何枚もかさねたて見たのだが、当時はネガ自体もめずらしかった。
父は、外資系の会社に勤めていた。昭和初期の「リヒトビルト」の影響らしく、写真が趣味だった。小学生のガキは、父のブローニー判のネガを持ち出して、近所の腕白ボウズどもに見せびらかしたらしい。
なにしろ写真機(カメラ)も、まだ普及していなかった時代だからねえ。

天体の知識もなかった。少国民文庫というシリーズに、石原 純先生の書いた科学の本があって、それを読んだぼくは、科学者になろうかと思ったけれど、頭がよくないと、科学者にはなれないとわかった。
ほかにももっとおもしろいものもあって、マンガ――当時、子どもたちに人気のあった「冒険ダン吉」というマンガ。南洋の「土人」につかまった少年「ダン吉」が、ヤシの木にしばりつけられていると、一天にわかにかき曇り、太陽が欠けはじめる。……

ぼくは、「冒険ダン吉」のように南洋の島で活躍するつもりだったので、日食についても研究しておきたかった。このときは、しっかり日食が見えた。
このマンガは島田 啓三というマンガ家の作品だか、はるかな歳月をへだてて、私は自分が「冒険ダン吉」の見たのとおなじ日食を見ようとしているのだった。

ところが、2012年の皆既日食は、あいにくの曇り。
やい、雲め、てめえのおかげで、「冒険ダン吉」の日食まで思い出しちまったじゃねえか。

悪態をついていると、雲が切れた。や、しめた。こいつぁいいや。
オテントさまが徐々にもとの形に回復しはじめて、雲の切れ目から、三日月みたいな、クロワッサンが見えてきた。

ベイリービーズは見られなかったが、それでも、チョビッと満足できた。通りすがりの若い美形をみながら、心のなかであれこれcriticizeするときの、GGiのほくそ笑みに似ていたかも。(笑)