もし、もう一度、行くことができたら、ロシアのサンクト・ペテルブルグに行ってみたい。むろん、夢のまた夢だが。
エルミタージュ(美術館)から――フィンランド湾にそそぐネヴァ河の河口にうかぶペテロ・パヴロフスク要塞の眺めは忘れがたい。
この要塞は、のちに刑務所になり、ドストエフスキーが収監されたことで知られている。私は、評伝「メディチ家の人びと」を書きあげて、すぐにロシアに旅立ったのだが、旧ソヴィエトの閉塞的な空気にうんざりしていた。
私は、エルミタージュ(美術館)に感嘆を惜しまないし、エカチェリーナ宮殿(私が行ったときは、ナチス・ドイツによって破壊、略奪されたあとの修復工事が続けられていたが)の壮麗な姿にも魅せられた。
しかし、私は、いつもどこかで私たちの行動を監視している「眼」を意識していた。
ヤスナヤ・ポリアナに行ったとき、食堂で昼食をとったのだが、私たちがテーブルについたとき、隣りにいた中年の男が、立ちあがりざまさりげなくカメラのシャッターを切った。
そのとき、私の隣りに、通訳のエレーナ・レジナさんがいた。
「今、そこにいた人が、カメラ、撮りましたか?」
エレーナさんが低い声で私に訊いた。
「ええ、写真を撮っていましたよ」
私は答えた。
「そうですか」
エレーナさんはうかぬ表情でいった。
じつは、通訳のエレーナ・レジナさんの夫は、KGBの大佐で、エレーナさんは、作家同盟で、日本を担当している公務員だった。そのエレーナ・レジナさんでさえ、私たちを案内している途中、誰かに見張られている。
私は、この瞬間に、私たちの行動はすべて監視されているらしいと意識した。
エレーナ・レジナさんのことは、前に一度書いたことがある。だが、いつかもう少し書いてみよう。