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小林 秀雄が教室に姿を見せると、学生たちは緊張する。教壇の机の横に椅子を置いて、無造作に切り出す。
「何か質問は?」
思いがけないことなので誰も答えない。学生たちは固唾をのんで見まもっている。うっかり質問しようものなら、どんな辛辣な返事が返ってくるかわからない。おそろしい沈黙が流れる。誰も質問しない。と、
「あ、質問はないのか」
そのまま教室から出て行ってしまった。
翌週からの講義では、学生のひとりが質問をすることにした。せっかくの講義が聞けないのは残念だからだった。幼稚な質問ばかりだったが、質問に答える小林 秀雄は見ものだった。額のあたりに手をやって、指先で髪の毛をつかむ。指先にくるくる巻きつける。
その動作に――小林 英雄の直観、感性、それをどう説明するかという判断、その思考の速さがごうごうと渦をまいているように見えた。