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「マリリン・モンロー 7日間の恋」は私にいろいろなことを考えさせてくれたのだった。

マリリンは、結婚した相手をどう見ていたのか。「7日間の恋」では、アーサー・ミラーと新婚で、ロンドン行きは、新婚旅行のようなものだった。

    夫ってものは、だいたい、いい「恋人」なのよ。
    奥さんを裏切っているときはね。

 ずいぶん、シニックな意見に聞こえる。しかし、少し口を尖らせながら、ちょっとドモリ気味に、舌ったるい、こんなセリフを聞かされたら、誰だって、マリリンに賛成したくなるだろう。この映画のマリリンは、まず、結婚の不幸を知らせてくれる。

イギリスにおけるマリリンには、少数だが意外な理解者がいた。たとえば、詩人のイーディス・シットウェル。

    彼女は世界を知っているのだが、この知識が、いまや彼女の偉大で、情け深い尊厳を低めている。その暗さが、彼女の「よき姿」をかすんだものにしている。

 イーディスは、マリリンが、アーサー・ミラーに「裏切られた」ことなど知るよしもなかったはずである。しかし、見える人には見えていたのだろう。

「7日間の恋」のマリリンは、「王子と踊り子」の撮影に非協力的で、撮影には遅刻ばかりする。アーサー・ミラーは、さっさとロンドンを去って、アメリカに戻ってしまう。
マリリンは、ローレンス・オリヴィエの演出に不信をだき、演技を指導するポーラ・ストラスバーグにすがりつく。それでいて、撮影をスッぽかして、若いコリンを相手に一日を楽しく過ごす。最後には、「スプーニング」(セックス)というオマケつきで。

マリリンのことば。

    セックスは、自然の一部よ。あたしは、自然にしたがうだけ。 

 こういう女は、ややもすれば、男にとって、いちばん危険な手管をもった女に見える。ここに不幸がある。
「王子と踊り子」の演出にあたったローレンス・オリヴィエはいう。

    プロフェッショナル・アマチュア。

 現在、「王子と踊り子」を見ると、マリリン・モンローは、映画の始めから終わりまで、名優、ローレンス・オリヴィエの「芝居」をまるっきり食っていることがわかる。

「7日間の恋」の原作者は、彼女の根底にある「怖れ」を指摘している。しかし、映画は、そのあたりにまったく眼を向けていない。というより、はじめから、そのあたりに関心がない。
だから、身勝手なスター、「マリリン」にふりまわされるスタッフ、そして撮影の途中で露呈してくるさまざまな葛藤など、あくまで平板に描かれるだけで終わっている。

「マリリン・モンロー 7日間の恋」を、そのまま「おとぎ話、幕間劇、時空を超えた、しかし、リアルなエピソード」として、この映画を見たということ。

サイモンは、原作を読んで、

    1956年当時の映画作りの克明な描写のみならず、人生初の仕事で最盛期のマリリン・モンローと親密な仲になった若者の夢物語にも心惹かれた。

 という。「夢物語」なら「夢物語」でいいのだ。しかし、この映画にはそんな「夢」のかけらもない。「マリリン」をやった女優さん(ミッシェル・ウィリアムズ)が気の毒だった。
(つづく)