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サイレント映画のスター、クララ・ボウは語っている。

   セックス・シンボルなんて、背負いきれないほど重いお荷物だわ。とくに、疲
   れきって、傷ついて、どうしていいかわかんないときは。

 マリリン・モンローが、おなじことばをいったとしてもおかしくない。
彼女は、自分の限界を知っていた。

   あけすけにいうと、あたしって、土台がない上に建っている超高層ビルみたい。
   だけど、あたしは土台のところで仕事をしてるのよ。

 このあたりに、私はマリリンのいじらしさを見る。

   あたしの自己証明のベストの方法といったら、女優としての自分を証明するこ
   となの。

 この目的を実現できるかどうか、自信はなかった。映画、「マリリン・モンロー 7日間の恋」でも、撮影現場で、なにかとポーラ・ストラスバーグにすがりつくマリリンが描かれる。(現実には、あの程度のものではなかったと思われる。)

   ほんとうにピタッときまったときは、演技することが楽しいわ。

 しかし、マリリンが、「ピタッときまったとき」when you really hit it right は少なかった。(これは「結婚」や、「情事」でも、おそらくおなじことだったにちがいない。)

この映画では、「ローレンス・オリヴィエ」が、マリリンの「演技」を認めようとしなかったこと。「マリリン・モンロー・プロダクション」の共同出資者で、「王子と踊り子」の撮影が遅れて、破産寸前の写真家、ミルトン・グリーンの、やけっぱちな姿勢に、マリリンの「天然ボケ」と「恋」が重なってくる。

   これまでの生涯、私はずっと日記をつけてきた。しかし、これは日記ではない。
   日記というよりおとぎ話、幕間劇、時空を超えた、しかし、リアルなエピソード
   だ。

 「マリリン・モンロー 7日間の恋」の原作者、コリン・クラークの言葉。

原作者、コリン・クラークにとって、マリリンとの交遊全体がそれこそフェアリ・テールだったに違いない。だが、「マリリン」にとっては「7日間の恋」は「おとぎ話」ではなかったのではないだろうか。
「幕間劇」というのは、インタルードという意味だろう。作者は、インタルードと書いているのだから、文字通り、アーサー・ミラーとの結婚と、「王子と踊り子」の撮影の中間にはさまれた幕間劇と見ているのだが、私は、もう少し重い意味を見る。
マリリンにとっては、「7日間の恋」ではなかった。
(つづく)