先日、私は書いたのだった。
「俳句や、歌舞伎、遊女のことなど、これまで書く機会がなかったテーマも、ときどき書くつもり。ただし、まるっきり無趣味な男なので、何を書いたところでたいしておもしろいはずもないのだが。」
そこで、先日、市川 白猿(五世・市川団十郎)のことを書いたのだが、この俳優のことばを書きとめておこう。ただし、私の現代語訳。
私(白猿)が書いてメモしておいた俳句や狂歌などを、良質の紙にていねいに書いて、筐底(きょうてい)に秘めておく、などということは、しばらくたつと、どうも風流なことに思えない。おまけに、俳句や狂歌など、そのつど自分の名をサインするというのも、うるさい。自分でも、これはと思う和歌など、人に披露してよろこぶのは、心ゆくばかりにいさましいけれど、聞かされる側にすれば、さぞ片腹いたいことだろう。こういうことは、日頃からつつしみたいと思う。
いかにも白猿らしいことば。
ただし、団十郎らしいしたたかな自己顕示もはりついている。これは、原文で。
のみます食ひます気が延(のび)ます、合せて三升の定紋は、孫にゆづり葉かやかち栗、海老はもとよりいへのもの、だいだいどころ生へぬきの、八百八町御ぞんじの、花の御江戸のやっかひおやぢ……
「孫にゆづり葉」とある「孫」は、七世、団十郎のこと。
どうか、今の海老蔵が八百八町御ぞんじの、花の御江戸のやっかひむすこになりませぬように。