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ケーキは、不思議なものだという。
堤 理華の訳したニコラ・ハンブルの、「ケーキの歴史物語」の冒頭に出てくる。

メイン・ディシュに比較すれば、食べものとして、ケーキはそれほど重要なものではない。しかし、ケーキがなければ、正式なディナーとはいえないし、ときには、ウェディング・ケーキのように、とてもお菓子とは思えない堂々たる異彩を放っているケーキもある。

ここから、ニコラ・ハンブル先生は、ケーキとは何か、という問題設定と、それこそ古代から、人間を魅了しつづけて来たケーキの歴史の検証が行われる。
ただし、小むずかしい本ではない。

読んでいて、おいしさが舌に感じられるような本。
上質なケーキを口にするような、口あたりのいい、美味しい本だった。

第5章の「文学とケーキ」を読んだ。
プルーストの「失われた時を求めて」、ディケンズの「大いなる遺産」、ジェーン・オースティンの「エマ」、ルイス・キャロルの「不思議の国のアリス」など。

プルーストの小説に出てくる有名な「マドレーヌ」は、「厳格で信心深いその襞のしたの、むっちりと官能的な、あの菓子屋の店頭の小さな貝殻のかたち」ということは知っていた。この小説の「語り手」が、「マドレーヌ」を口に含んで食べると、さまざまな記憶がよみがえってくる。
実際には――紅茶にひたしたかけらをそっとすすっただけで、記憶が押し寄せてくる」のだった。
へえ、そうだったのか。
私は、この本からはじめて教えてもらった。

それにしても、プルーストの「コンブレー」に、どんなお菓子が出てきたのか。まるで記憶にない。もともとプルーストの小説にくわしくないのだから、どんなお菓子が出てきたのか思い出せなくても仕方がない。
私が思い出したのは――「スワン」の「オデット」に対する恋が進行して行く部分で――社交界のご婦人がたの食卓の席上、アレクサンドル・デュマ・フィスの新作が話題になって、そのなかで「日本のサラダ」が出てくる。
これがわからない。
当時、コメディー・フランセーズが上演したデュマ・フィスの「フランション」に出てくるそうな。
私は、アレクサンドル・デュマ・フィスもよく知らない。だから、「フランション」も知らないので、「日本のサラダ」がどういうものなのか見当もつかない。

きっと、このまま知らずに終わってしまうだろうな。

「不思議の国のアリス」のなかで――ケーキはヴィクトリア時代の子どもには禁じられていた(すくなくとも、きびしく制限されていた)と知って、これまた驚いた。そういわれればそうだろうなあ。
お菓子を食べる「デヴィッド・カッパフィールド」なんて想像もつかないよなあ。
「ジェルヴェーズ」だって、幼い「ナナ」だって、お菓子を食べさせてもらえなかったに違いない。

この本を読んでいて――マリー・アントワネットが食べた(らしい)ケーキを食べたことを思い出した。
大阪のNHKの番組で、辻料理学校の、辻 静雄さんのお話を伺ったときだった。学校のシェフが作ってくれたもの。おいしかった。マリー王妃のラテイソイキを見るような思いがあった。(漢字がないから仕方がない。)
そのとき以来、私はチョコレート・ムースというお菓子を好んで食べるようになった。
マリー・アントワネットが食べたお菓子以上においしいものが、いまの日本ではいくらでも作られているのだから。

「ケーキの歴史物語」を読みかけて、いろいろなことを思い出す。だから、たのしい本になりそうな気がする。

翻訳家が、ほんとうに「おいしい」本を訳す機会はひどく少ないものなのだ。
植草 甚一さんは、いろいろな新しい作家を読んでたくさん紹介なさったが、ご自分で翻訳なさったのは、コンラッド・リクターと、もう1冊だけだった。
だから、「ケーキの歴史物語」のように楽しい本を翻訳できる堤 理華の才能が羨ましい。

岸本 佐知子の訳した「変愛小説」を贈られたとき、私は毎日1編ずつ、おいしいお菓子を食べるようにして読んだ。
こんどは、「ケーキの歴史物語」を、それこそおいしいケーキをつまむようにして読むことにしよう。

 

(注)  「ケーキの歴史物語」 (原書房)
ニコラ・ハンブル著
堤 理華訳
2012年3月23日刊 2000円

 

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