正宗 白鳥から、じかに芝居の話をきいたことがある。
「演劇」の編集長だった椎野 英之が軽井沢の別荘に伺って、作家の原稿をうけとってきたのだった。まだ戦後の混乱が続いていた時期で、食料の買い出しで列車は大混雑していた。列車内でスリに狙われたか、落としたか、椎野は原稿を紛失してしまった。
椎野は真蒼になって、軽井沢に電話をかけた。事情を説明してあやまったが、白鳥さんは、もう一度、原稿を書くといってくれた。たまたま翌日、白鳥さんは東京に出てくることになっていた。原稿は朝の10時に江戸川アパートでわたすという。
私が頂きに行くことになった。むろん、白鳥が私のことを知っているはずもない。
原稿をわたしてくれた白鳥さんは、江戸川からハイヤーで歌舞伎座まで行くことになっていた。
「きみ、乗って行ったらどう?」
私は同乗させてもらったが、このとき白鳥さんから、芝居の話をうかがったことはいまでもあざやかに心に残っている。