前に書いたのだが、これから私が書く女優さんは、クララ・ボウ。マルレーネ・ディートリヒ。むろん、たかだか3枚程度の雑文だが。
もう書き終わったのは、バーバラ・ラマール。これは、50枚。
この夏に発表できるはずだが、どうなるか。
かつて、こういう女たちが現実に存在していたこと。それがまるで奇跡のように思えると私は書いた。
もはや、現実離れした、はるかな過去のことでも――私がまじめに書いておけば、いつか誰かが関心をもつかもしれない。時世(ときよ)は変われ、タレひとり見たこともないスターたちの運命に心を動かされるやもしれぬ。
私は1920年代を知らない。
何もかもが、私の生きた時代とちがっている。むろん、今の時代ともにならない時代。 あんなにすばらしい、輝かしい時代に、系旬を過ごせたら、どんなによかったことか。
ジャック・フィニーの登場人物がいう。
今とは、いろいろなことがあまりに違いすぎる。(中略)もちろん人間も随分違
った。私たちは無知だった。お前(息子)の半分も利口ではなかった。(中略)
それでも 、私たちは、お前たちより、人が良かったような気がする。お前たち
より忍耐づよかった。今あるような憎しみを、持った覚えが私にはない。もっと
のんきで、もっと生活を楽しんでいた――ようするに、今よりずっと生き生き
していたんだ! 人生が何のためにあるのかを知っていたんだ。(福島正実訳)
彼は、20年代に青春を送れたことを幸運と思っている。それにひきかえ、今の若い者は気の毒だ。何もかもが、あまりに陰気すぎるからな。
私は、20年代に青春を送れたような幸運な世代ではない。それでも、今の若い人たちは、私などよりはるかにはげしく、不安定で、混乱した時代に生きている。
私が、このところずっとサイレント映画の女優たちのことを考えているのは、なにも現実逃避ではない。
むしろ、彼女たちの生きかたから、私よりも後の世代につたえられるべきもの、悲惨から輝きまで、何かがあると思う。だから、書いているのだ。