少し前のこと。
1月24日、テオ・アンゲロプロスが亡くなった。
「旅芸人の記録」、「エレニの旅」、「第三の翼」などの映画監督である。三部作の最後の作品になるはずの「もう一つの海」の撮影中、アテネ近郊で、オートバイにはねられて死亡した。なんともいたましいできごとだった。
しばらく前までの私は作家や詩人の訃を知ると、その人たちの作品を探しては読むことにしていた。たいして意味のあることでもないが、追善の思いもあったと思う。
ところが、映画人の訃を聞いても、ほとんどの場合、ゆかりの映画1本すら見ることができないのだった。
私が見たいと思ったテオの映画は「シテール島への船出」だが、残念なことにビデオもDVDももっていなかった。
だから、心のなかで、ところどころ映画のシーンを思いうかべるだけで、アンゲロプロスを追悼した。
ホイットニー・ヒューストンが亡くなった。
2月11日午後3時55分(日本時間/12日午前8時55分)、ロサンジェルスのホテル「ビヴァリー・ヒルトン」の一室で倒れていたという。
有名人、とくに映画スター、シンガーといった芸術家が生涯を閉じたとき、ありし日の名声をおのれの心にきざみつけようと願うのはごく自然な感情だろう。その願いは、ファンならなおさら切実なものになるだろう。
私はホイットニー・ヒューストンのファンではなかった。彼女のCDももっていなかった。
だからDVDの「ボディガード」を見て、ホイットニーをしのぶよすがにしたかったが、これももっていないのだった。
今後の私がホイットニーについて、何か書くだろうか。おそらくないだろう。では、テオ・アンゲロプロスについて書くことがあるだろうか。
これもないだろう。
故人の行実をつたえるのは、そのファンや、その平生を知る人によって語られるべきだと思う。私などはそれによって、あらためて故人の冥福を祈るしかない。
哀惜の情はその芸術家を知る人にとってあまねきものとなるだろうから。