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この「コージートーク」も、今年はなんとか幅をひろげよう。さて、何かおもしろいネタはないものか。

昨年の暮、こんなエッセイを読んだ。私にいくらか関係があるので、ここに引用しておく。(「音遊人」2011年11月号)
筆者は、北上 次郎。ミステリーの評論家として知られている。

 

ヤングアダルトという名称が日本でいつごろから使われだしたのか、必要があってしらべている。私の記憶では一九七〇年代初頭にすでにあったような気がしていたのだが、そのころの本を調べてもヤングアダルトという名称は未だ見つからない。たどりついたのが、一九八〇年代初頭である。
(中略) 実は七〇年代説をまだ捨てきれないのだが、一般的にヤングアダルトという名称が使われだしたのはそのころ(一九八〇年代初頭――中田注)という説のほうが有力のようだ。その八〇年代説と一緒に語られる実例が、S・E・ヒントン「アウトサイダー」(中田耕治訳/集英社文庫)である。一九六七年、ヒントンが十七歳のときに書いたこの小説がアメリカで話題になり(コッポラによって映画化もされた)、日本で翻訳が出たのは一九八三年。

 

これには驚いた。むろん――「ヤングアダルトという名称が日本でいつごろから使われだしたのか」、調べている人がいることに驚いたのだが。

答えは簡単で――「ヤングアダルト」という名詞が、日本ではじめて使われたのは、一九八〇年代初頭から。
英語圏ではもう少し前から使われていたはずだが、当時の「NEW COLLEGIATE」(研究社/1967年初版)にも、「ヤングアダルト」という項目はない。

はじめて「ヤングアダルト」という名詞、「ヤングアダルト小説」ということばを使ったのは、おそらく私だったと思う。このことは当時のコバルト文庫の編集者たちや、小学館でジュヴナイルものを担当していた若杉 章なら、よく記憶しているはずである。

S・E・ヒントンの作品が「アメリカで話題になり(コッポラによって映画化もされた)」というのも順序が逆で、映画監督、フランシス・フォード・コッポラが、ほとんど無名といっていいS・E・ヒントンの作品を読んで、映画化をきめた。そのため、この「ヤングアダルト小説」が評判になったのだった。     (つづく)