今年のお正月、別にどうってことはなかった。くそ、おもしろくもねえ。
だから、毎日、何もしないで、ボケボケとすごしていた。
今年の小生の偈。
人生八十年 つらつら観じ来たって、ついにボウボウなりき。
この「茫々」は、漢字で 目ヘン ツクリは 毛 と書く。むろん、パソコン、ワープロの「辞書」にはない。私はこの「ぼうぼう」を「ボケボケ」と読むことにした。
最近は、言葉が乱れているのだから、はじめから間違った読みかたをしたところで、誰も咎めないだろう。(笑)
七世、市川団十郎(1791-1859年)と、八世、市川団十郎(1823-1854年)の未公開の手紙が見つかったという。(「読売」’02.1.6.夕刊)
天保13年(1842年)、いわゆる天保の改革で、七世、市川団十郎は、江戸を追放され、6月、千葉の成田山に移った。新聞記事によると、団十郎は、10月、静岡の伊達というパトロンにあてて、
「御領主より此地には置かれぬと言われた時は、天竺かおらんだへ出立と思い申し候」と記し、名優の自尊心を吐露した。
伊達家では、さっそく団十郎に着物や、食べものを届けた。
10月、団十郎は礼状を書き、目玉の絵を描いて「めでたく」と茶目っ気も見せた。
今では誰も使わない漢字に、私が、間違った読みをつけても、笑うヤツはいないだろうな。エヘヘヘ。