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台風12号が、四国に上陸して、進路を北に向けていた。
この日、私は、東京にいた。

地下鉄で日比谷に出た。
私は、ほんの一時期、「東宝」で仕事をしたことがあって、旧東宝の本社があった界隈、もとの日比谷映画劇場のあったあたりは、今でもなつかしい。その後、私は、映画の批評を書いていたので、日比谷から先、新橋方面にかけて、よく歩いたものだった。

「宝塚」まできたとき、突然、雨が降りはじめた。いきなり土砂降りになった。

私は、急いで、もとの日比谷映画劇場の横をまわって、近くの喫茶店をめざした。
もともと「東宝」本社の前にあつた喫茶店で、私は、よく女優たちを見かけたものだった。満州から脱出してきた木暮 実千代を見かけたり。戦後、もっとも期待されながら、自殺した堀 阿佐子に会ったのもこの喫茶店だった。そういえば、まだかけ出しの女優だった頃の岡田 まり子、有馬 稲子たちに紹介されたこともある。

その後、喫茶店の規模も変わったし、内装も変わった。いまどきめずらしく古風な雰囲気の喫茶店になっている。私は、この喫茶店で、ある女性とデートしたのだが、その女性にフラれた。そんな思い出がまつわりついているので、その喫茶店は敬遠して、土砂降りのなかを反対側のファストフードの店に飛び込んだ。

私の席から、日比谷、みゆき座の通りが見渡せるのだった。

突然の大雨に、歩行者たちはあわてて近くのビルに走ったり、この喫茶店にも私のあとから客がつぎつぎに駆け込んでくる。
雨のなかを、このあたりの0Lらしい若い娘が走ってくる。
みゆき座に出る角あたりにきたとき、若い娘がバランスを崩して、はげしく転倒した。それを見ていたのは、おそらく私だけではなかったか。
女の子はずぶ濡れ。起き上がれない。5メートルばかりうしろから、男の子が走ってきた。
その若者は、目の前で、女の子が転倒するのを見た。
急いで走り寄って、女の子を抱き上げるようにして立たせた。しかし、どこか打ちどころがわるかったのか、女の子はからだを前に折るようにして、やっと立っている。
私は、女の子が肋骨にヒビでも入ったのではないかと思った。

あたりは、はげしい雨に煙っている。もう、だれひとり、このあたりに人影はなかった。みんなが、近くのビルに逃げ込んだり、走り出して、あっという間に、日比谷の通りに人の姿が消えた。

一瞬後に、ふたりはその場から左に向かって歩き出した。意外だった。女の子は真っすぐ走って、交差点の向こう側(もとの日比谷映画劇場)に走り込むものと見たからだった。
ふたりの位置からそれほど遠くない場所に「アメリカン・ファーマシー」がある。
若者は、女の子がころんで、どこかに負傷したものと見たに違いない。
おそらく、若者が、ずぶ濡れになった彼女に何か指示をあたえたに違いない。もしかすると、ころんだ拍子に手首をいためたか。あるいは、若者が行こうとしていたビルに、とりあえず案内しようとしたのか。
若者は、彼女を抱きかかえるようにして、ゆっくり歩き出した。十字路をわたり切ったが、逃げ込む場所はない。私の位置からは、ずっとよく見えるようになった。

若者は、そのビルの角まできて、ずぶ濡れになった女の子のシャツをまくり上げた。肌にはりついているので、まるでシャツをひっ剥がすようにして、女の子の胸まであらわにした。女の子はされるままになっていた。
男の子は、だまって乳房に手をのばして撫でた。

私は、ちょっと信じられないものを見たと思った。

ふたりが歩きだしたところで、私の視野からふたりの姿が見えなくなった。私のすわっている位置からは、たとえからだをおおきく後に向けても、二人が見えるはずもない。

これだけの話である。
ただ、私は、どうしてこんなシーンを見てしまうのだろうか、という思いがあった。