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けっこう寒くなってきた。

去年の夏、暑さが続いていた頃。

「あつい、あつい。実に暑い。とてももう、小笠原流(かみしも)ではやりきれねえし、俳諧どころか二の句も出やぁしませんぜ、こ隠居さん」
とは、歌仙か百韵(ひゃくいん)の催しも、たちまちにしてお廃止(オクラ)と見えたり。
「オヤ、ネコの八っつあんかえ。たしかに今年の夏は暑いようだ」
「ご隠居だって、去年も、おなじことをいってたではありませんか」
「ああ、これ、そんな文句はいってくれたもうな。暑苦しくてたまらぬ。去年は去年、今年は今年。去年申したことノ、今年になってノ咎めだてというは、じつに総毛立つことでナ」
「おやおや、これはむずかしい先生だワ」
「こ隠居、ここで、涼しいものくらべという趣向はいかがでゲしょう」
「おお、それよ。妙々ですナ。その涼しさは……」
「さしづめ、極楽」
「アハハ。それでは、盆山。石菖。お手水」
「手水に映そうときましたか。では名月はいかが。月天心 貧しき町を通りけり、と。さて、蕪村とくれは、つぎの涼しさは……行水、としましょうか」
「エヘヘ、こちとらはついつい、手水組を連想いたしやした。そこで、涼しいものは、髪結い、髪剃り、といたしましょう」
「うまく逃げましたナ。それでは、ヒグラシの声。橋の上。柳かげ」
「夕露、小夜風。ひとえ衣(きぬ)としましょうか」
「あい変わらずだねえ、ネコの八っつぁんは」

去年の夏、わが家で飼っていたゲレというネコが、老衰で死んだ。私は、最後の最後まで見とってやった。
ゲレは最後に、痩せ衰えた前肢をふるわせて、かすかに足掻いた。まるで天国に向かって駆けて行くように。
その午後、私は庭の隅っこに遺骸を埋めてやった。

三ヵ月、喪に服したあと、新しいネコをもらってきた。アンゴラ系の白いネコで、みるみるうちに大きくなった。名前は、チルとつけた。
ある日、チルを外に出してやったが、それっきり帰ってこなかった。翌日は大雨が降った。そしてまた暑くなった。チルは、もう、戻ってこないだろう。私は不実な女に逃げられたように気落ちしたが、なんとかあきらめることにした。
もともとあきらめはいいほうである。
やっと心の整理がついたとき、思いがけず、チルが、折れた左足を引きずって、泥だらけになって戻ってきた。車にはねられたらしい。すぐに近くの獣医に診察してもらったが、チルのビッコは直らないようだった。

そして秋になった。

このまま冬になったら――炬燵にもぐって、ネコの話で落語を書いてみようか。