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渡辺 温の時代。

 

上野の博覧会で軽気球が上げられた。軽気球はまるで古風な銅版画野景色の如く、青々と光るはつ夏の大空に浮かんだ。
「風船美人」

 

秋晴れの青空の中に隣の西洋館の屋根の煙出しが並んで三盆あった。両側の二本は黒く真中のは赤い色をしていた。
「赤い煙突」

 

明るい陽ざしを透かせて、松林の影が紫の縞になっている蔦の絡んだ紅がら色のベランダで、小型オルガンを弾いている華奢な感じのする少女の姿が描いてあった。お下げに結った其の横顔はもとより、大きな百合の模様のある着物や派手な菱形を置いた帯びにも、由紀子の懐かしい思い出が残っていた。
「指環」

 

わざと小田急には乗らずに、東京駅から鎌倉へ行って、鎌倉から幌を取らせた自動車で稲村ケ崎を抜けて、海辺づたいに真直ぐに、江の嶋経向かいました。
(中略)浜辺にいる人々からも必ず、松林の縁(ふち)の街道を走る自動車の姿は一目で見える筈だし、そうすれば、ほろなしの座席に相乗りしたアメリカの活動役者の恋人同士のように颯爽たるだんじょの様子は、この上なく羨ましい光景として見送られるに相違ないのです。
「四月馬鹿」

 

まったく偶然に眼についた文章をとりあげたにすぎないが、ああ、これが渡辺 温の世界なのだと思う。そういう私の内面には、なぜか、ひどくノスタルジックなもの、そしてひそかな羨望がひろがっている。
ここにうかびあがる、何かロマンティックなモラリティーは、もはや私たちから遠くなっている。しかし、時代的には、ぐっと身近な「ALWAYS 三丁目の夕日」(昭和30年代)よりも、ずっと私には近くに感じられる。

ひょっとすると、このあたりに渡辺 温の世界の逆説性がひそんではいないだろうか。
むろん、もう少し説明しなければならないが――こう、いい直そうか。
たとえば、つい昨日の時代の「ジュリアナ」の世界は、私たちにはもはや何のインパクトももっていない。ところが、現在の私たちは、ムーラン・ルージュに踊っているロートレックの女たちと少しも違っていない。
大正末期から昭和初年を駆け抜けた渡辺 温は、じつは現在の私たちを描いているのではないか。……そんな気がしたのだった。

渡辺 温の「アンドロギュノスの裔」の娼婦は、現在のAVに出ている、おびただしいエロカワ少女の一人に見える。
そして「花嫁の訂正」は、佐藤 春夫の「この三つのもの」(未完のまま、中絶/大正14~15年)や、谷崎潤一郎の「卍」などに近い。もし、読みくらべてみれば、ここから何かが立ちあがってくるかも知れない。
(つづく)