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ハ・ジンの短編集、「すばらしい墜落」の最初の短編、「インターネットの呪縛」は、四川省に住んでいる妹と、インターネットでやりとりしているニューヨーク在住の姉の話である。
妹は、4年前にアパートを買ったので、姉は頭金の一部に2000ドルを送金した。最近になって、妹は、「自分がどんなにいい暮らしをしているか、別れた夫に見せつけてやりたい」一心で、車を買いたいといいだした。ニューヨーク在住の姉は、車ももっていない。毎週、休みもなしに、スシ・バーでアルバイトしている。
四川省の故郷は車をはしらせる必要もないほどの小さな町だが、車の維持費、ガソリン代、保険、登記、道路の料金と、かなり負担が大きい。
そして、路上試験にパスした妹は、3000元の受験料と、別に試験管に500元の袖の下を渡したとメールでつたえてくる。

 

昨日、姪のミンミンがフォルクスワーゲンの新車に乗って町にやってきました。
ぴかぴかの新車を見たとたん、一万本の矢にむねを射抜かれたような気がしたわ。
みんなにおくれをとっているなんて、いっそ死んでしまったほうがまし!

 

妹は、このメールで姉に借金を申し込む。
彼女は中国の国産車を買うことにひどい劣等感をもっていて――日本やドイツの新車は高すぎるので、せめて韓国のヒュンダイか、アメリカのフォードを買いたいと思いつめる。そのために、姉に送金を依頼する。
姉は断る。すると、妹はとんでもない決心をメールでつたえてくる。

私は、ときどきにやにやしながら読んでいた。

こんな短編ひとつに――毎年、10%の経済成長率という好景気にわき返って、国をあげてのモータリゼーションの波にのみ込まれている中国の姿が浮かびあがってくる。そして、アメリカの華僑たちが中国の同胞に投げかけている、いささか皮肉な視線が感じられる。

「インターネットの呪縛」の原題は、「互聨網之災」である。インターネットという通信手段が、たとえば、ウィキリークスの流している機密文書の「災い」や、どこかの国のハッカーがソニーの膨大な個人情報を盗み出したという「災い」をもたらしていることと、ハ・ジンの短編にあらわれる中国人の姉妹の「災い」は、まったく関係がない。しかし、私は、この姉妹は、まさに私たちとおなじ世界に生きていること、つまり私たちもまた、「互聨網之災」に生きているという思いだった。この短編の中国女性には、まさに今の中国の真面目(しんめんぼく)がある。

作家、ハ・ジンの世界は、アメリカ在住の華僑社会を取り上げているのだが、私たちに無縁の世界ではない。

それらが、わたくしたちの心のなかに喚びさます共感のなかには、どこかアジア的な趣があり、私たちはそれを通して、一つの困難な時代の相を見る。

外国の現代作家の作品を読んで、われとわが身の不幸を考えるなどということは、あまり体験しないのだが、私にとってハ・ジンは、私たちもまたおなじ「災い」を経験しつつあることを教えてくれた作家なのだった。
(つづく)