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 昨年、私はカナダの女流作家の処女作を訳した。
 オノト・ワタンナという女流作家だが、おそらく誰ひとり、彼女の作品を読んだ人はいないだろう。
 なにしろ、19世紀末に書かれた古色蒼然たるロマンス小説なのだから。
 題名は「お梅さん」という。

 最近の私は、あまり本を読まなくなっている。眼がつかれるせいもあるのだが、短い短編の一つでも読むだけで満足してしまう。大震災このかた、いろいろと考えることができるし、短編を読んでも、若い頃にはわからなかったことにあらためて気づいたりする。

 もともと経験というものは、それを味わった瞬間から、私たちを見捨ててしまう。その経験を自分の内部に刻みつけておくのがどんなにむずかしいことか。
 小説を書くということは、そんな経験をあらためて自分の内部に刻みつけようとすることでもある。

 ただし、どんなにすぐれた小説にしろ、それが書かれてほんの二、三年、よくって十年、二十年もすれば、もう誰も読まなくなってしまう。一世紀もすれば、文学史に一行でも名前が残ったところで、そんな短編を書いた作者のことなど誰もおぼえてもいない。
 まして、アメリカの少女が19世紀末に書いた「ロマンス小説」など、あらためて訳す価値もない。むろん、この作品には、残念ながら小説としてのレーゾン・デートルなど、どこにも見つからない。
 ところが、私にとっては、この小説の翻訳は、長年の心願をはたす仕事だった。
 え、老骨に鞭打って? よせやい。あんた、冗談きついぜ。(笑)

 とにかく、オノト・ワタンナの「お梅さん」が、いよいよ書店に並ぶことになる。