世間には、運のわるいやつ、不運なやつは、いくらでもいる。
菅 直人もそのひとり。
もし、この災厄がかつてないほどの規模のものという報告を受けたら、ただちに、首相直属の「対策統合本部」を設置すべきであった。
東日本大震災が起きて、福島原発の1号機が、メルトダウンの危機にさらされた。そこで、緊急に冷却するため、1号機に海水が注入されたのは、翌日、3月12日午後7時4分だった。
ところが、東電から、冷却のためそれまでの淡水から海水に切り換えるという報告をうけた菅 直人首相は、午後6時に、原子力安全委員会と、経産省の原子力安全/保安院に対して、海水の注入による再臨界の可能性についてくわしく検討するように指示した。
その報告をまっている間に、福島原発から半径20キロの住民に対して、避難を指示した。
つまり、この時点で、メルトダウンがおきていたことを知りながら、菅 直人首相は、そのおそるべき事態をできるだけ軽いものに見せ掛けようとしていたことになる。
もっと、おそろしいのは、菅 直人首相が、海水に切り換えることに懸念を表明したため、東電は、海水注入の開始から約20分後に、注入を中止したという。その後、実は中断していなかった(所長判断で継続していたという)ことが判明。いったい何の騒ぎだったやら……という展開になってしまった。
これは、当時首相に適切なアドヴァイスができなかった諮問機関の責任が大きい。菅 直人ばかりを責めるわけにもいかないが、これまたファルス、またまたファルスの一例である。
菅 直人が首相として有能だったとはまったく考えていないのだが。
もっとおそろしいことは、この3月12日、放射性物質の拡散を予測する報告が、いち早く首相官邸に、ファックスで届いていた。ところが、この報告は担当の部内でとどまって、首相、官房長官には報告されていなかった、という。
私は、これを知って、ムカついた。
菅 直人は、この部局の担当の下僚ども、および、その上司を、即刻、罷免すべきだった。そんなこともできないヤツに、首相がつとまるはずもない。
菅首相の名はまちがいなく歴史に残るだろう。歴代宰相のなかでも、きわめて無能だった例として、菅 直人の名は輝いている。幸か不幸が、私たちは菅 直人を21世紀の日本の宰相としてえらんでいる。
大震災のあと、かれは震災対策、被災地救援、原発事故対策と、政府部内に、26の委員会をつぎつぎに設置した。だから、首相としての責務を放棄してきたとはいえない。
だが、菅 直人がどれほど無能だったか。どれほど、ドアホだったか。
大震災発生の2日後、3月13日、蓮ボウ某という行政刷新担当相に、節電啓発担当相を兼務させる人事を発表している。
「事業仕分け」で、一躍名をあげた牝鶏(ひんけい)である。
菅 直人はその3日後(3月15日)になって――政府と東京電力が一体となって原発事故対策にあたる「対策統合本部」なるものを立ち上げている。
その後、牝鶏(ひんけい)は何をしたか。
そもそも、菅 直人は大震災発生の報告をいつうけたのか。
3月15日の時点で、蓮ボウだかレンポコだか、行政刷新担当相とかいうアホウはただちに罷免すべきだったと考える。お役御免だね。地震が行政を刷新してくれたのだから。
しかも、この時点で、福島の原発のメルトダウンの事実を知っていなかったはずはない。これほど大きな「危機」に際して、蓮ボウのような人物に「節電啓発」をさせるという神経には、おそれいってことばもでない。
では、蓮ボウは、どんな「節電啓発」を行ったのか。
いや、そもそも、彼が作った26の委員会は、具体的に、いつ、どこで、何の仕事をしたのか。それが、現実に菅 直人首相の政治にどういうふうに反映したのか。
戦前のフランス政治に大きな存在だったクレマンソー(大統領)が、政治家について語ったことがある。
俗物はおそろしい。俗物は、人類のなかでもっともふまじめなものだから、と。
先日、民主党の小沢某と、その子分で、暫く前まで首相をつとめていた鳩山某が、首相の引きずり落としを画策したが、これはうまく行かなかった。
すると、こんどは参院議長をつとめている西岡某が――震災・原発の対応をめぐって、菅首相の対応の遅れ、拙劣さを批判して、一刻も早く退陣するよううながした。
参院議長が、こうした批判を公表するのは異例のこととされる。(’11.5.19)
東日本大震災という未曾有の事態が起きたとき、日本にとってただ一つ、ほんとうにラッキーだったのは、小沢某が政権の中枢にいなかったこと、当時の宰相が鳩山某でなかったこと。私はこのことを、神に感謝したくらいである。
西岡某という参院議長が、菅 直人の退陣を要求したことなどは――どうでもいい。そんなものは、しょせん、茶番にすぎない。
小沢某ほど、狡猾きわまる政治家は少ない。
もし、小沢某、鳩山某が、権力の中枢にとぐろを巻いていたら、まさしく亡国の道を転げ落ちていたにちがいない。小沢某は震災発生直後ただちに、議員の大デレゲーションを躬率(きゅうそつ)して、満面笑みを浮かべて、したり顔で日本沈没をご注進に及んでいたであろう。そんな小沢某の顔つきを想像するだけで、私は慄然とする。小沢某、鳩山某、このふたりほど低劣な俗物はいないのだから。
社民党の国会議員のひとりが語っていた。
小沢某のような人物が、四半世紀ものあいだ、いつも政局の中心で動いていたというのは、スキャンダルだ、と。
天災にともなう「ふまじめな」俗物たちの人災を、政治の世界の巨大なデブリとして残してはならないと考える。
私は、この震災を天罰、天譴とは見ない。まして国難などとは見ていない。
私は、毎日、つぶやいている。
自然はおまえさんに相談なんかしやしない。あんたの希望なんかにかまっちゃい
ないし、自然の法則が、あんたのオ気に召すかどうかなんて、どうでもいいのさ。
あんたは、自然をそのままに受けいれるっきゃない。だから、その結果ってや
つも、いっさいがっさい、手前で引き受けなきゃ。つまり、壁は壁ってこと。
誰のことばだと思う?
「みぞれまじりの雪降る晩に」、ペテルスブルグの地下室で毛布をひっかぶっていた奴のひとりごと。これで、私のいいたいことが、いくらかわかってもらえるだろうか。