4月21日。
この日が、私の内面に暗い翳りをもたらそうとは、まったく予想もしなかった。
私はこの日付を忘れることはないだろう。
この日、私は病後はじめてお茶の水に出たのだが――
3月11日から、私はほとんど本を読まなくなっていた。私が読んだ本は、ハ・ジンの短篇集『すばらしい墜落』(立石光子訳/白水社)。安部ねり著、『安部公房伝』(新潮社)、そしてアナイス・ニン。
「きみという女は、惜しみなく自分をあたえることを知らない」エドワルドがいう。
でも、ほんとうにそうかしら?(アナイスは考える)。
非のうちどころのないヒューゴーの人格は、心から尊敬しているし、ヘンリー・ミラーのセックスにも、エドワルドの美しさにも、アナイスは身を投げ出している。
ヘンリーはいう。
「きみはいつもポーズをつけてるなあ」
私もそんなふうにいってみたいと思う。
わるいことに、私は3月から何も書かなくなっている。書こうとしても書けないのだった。スランプというわけではない。今はもう誰も知らない女優、メェ・マレイについて、短い、とても短いエッセイを書いた。
とても短いエッセイを書いていると、なぜか散文詩を書いているような気になる。
大震災、津波、原発事故。こんな時期なのに、もの書きとしてはむしろ充実しているような気分があった。ハ・ジンを読んで、この作家の短篇のすばらしさに瞠目した。安部ねりを読んで、世界的な作家になった安部公房のことをあらためて尊敬した。
最近の私には、つらいことが重なってきている。
なんでもない一日なのに、忘れられない一日。
アナイスを読んで、アナイスのような女性とほんの一時期でも親しくなれたことのありがたさを思う。
(つづく)