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吉永 珠子は女子美の芸術科の助手だった。
女子美は相模原市の郊外に移転したばかりで、遠くに低い山系がつらなり、冬になると、大気が凍って、叩けば音がするような自然がひろがっている。
大学の近辺にレストランも喫茶店もない環境だった。研究室にいてもすることがないので、もっぱら原稿を書いたり、翻訳をしていた。仕事にあきると、近くの木立や、遠い路線のバス停まで散歩をするのだった。
少し疲れて研究室に戻った。一階下の芸術科の研究室に私などが立ち寄ることはないのだが、助手の吉永 珠子が気がるに声をかけてくれるので、ときどきコーヒーをご馳走になった。彼女はマリリン・モンローが好きで、私をマリリンの伝記作家と知って、いつもマリリンのことが話題になった。楽しい時間だった。

吉永 珠子はいま作曲家になっている。この「中田 耕治ドットコム」の基本を作ってくれたのは、吉永 珠子、田栗 美奈子だった。