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ジェーンの出演作品は、「ならずもの」以外は、「腰抜け二挺拳銃」(48年)、「犯罪都市」The Las Vegas Story(52年)、「紳士は金髪がお好き」(53年)、「紳士はブリュネットと結婚する」(55年)など。

マリリンが、現在でも、多数の人々に記憶されているのに対して、ジェーンはただ肉体派のスターとして、知る人ぞ知るといった存在にすぎない。

ジェーンの登場後に、ハリウッド映画は、女優のディスヌーダがつぎつぎに登場する。1953年12月に、ヒュー・ヘフナーが、「プレイボーイ」の創刊号に、マリリン・モンローのヌードを掲載した。
マリリンが、朝鮮戦争の最前線に、軍の慰問に出かけたように、新人女優のテリー・ムーアも、朝鮮戦線の軍の慰問に出かけたが、純白の貂の毛皮の水着を脱いで、ストリップ・ショーを見せた。これは、日本では報道されなかった。
ダイスターのマルレーネ・ディートリヒは、ラス・ヴェガスのショーで、乳房の部分を透明なラミネートですっぽり蔽っているだけ、ノーブラのガウンで登場した。
そうした動きが、すべてジェーンの登場の作用的結果とはいえないだろうが、ジェーンのエロティシズムはそうした流れの先頭を切っていたと、私は見ている。

ジェーン・ラッセルとマリリンには、どこか共通するところがある。

ジェーン・ラッセルが、ずっと後輩のマリリンに対して、親身につきあってやったのも、その時代の「セックス・シンボル」として生きなければならなかった(利点は大きかったが)つらさ、ジェーンとハワード・ヒューズとの関係、マリリンとハリー・コーンとの関係、監督、ハワード・ホークスに対する距離のとりかた、といった点で、共通するところがおおかったと見てよい。

映画監督、ハワード・ホークスは、ジェーン・ラッセルとマリリンについて――

  「紳士は金髪がお好き」をつくるときは、ジェーン・ラッセルとの助力が大きか
  った。この映画を取るのはとても楽しかったが、何度も中止しようと思ったこと
  がある。ジェーン・ラッセルがいうんだ。「ちょっとこっちを向いてよ――監
  督さんは、それだけやってほしいのよ」すると、マリリンは、「あら、そんなら
  そうといってくれればいいのに」とさ。だけど、後年、マリリンと仕事をした監
  督に較べたら、ずっと楽だったね。後にマリリンがエラい女優になると、ますま
  す、ビビリはじめて、カメラの前で演じるのを拒みはじめたからね。何も演技が
  できないと思うようになっちゃって。

私はジェーン・ラッセル追悼のつもりで、「紳士は金髪がお好き」を見た。
(つづく)