今度の大震災は、さまざまなことを私たちにつきつけている。
福島の原子力発電所(福島県/双葉町、大槌町)の惨憺たる事故で、一号炉、三号炉、続いて二号炉の爆発、あるいは炎上、さらに、高濃度の放射能が漏れ出して、自衛隊のヘリコプター、警視庁の放水車まで動員して、必死に冷却作業がつづけられている。
東電は、はじめ10キロ、すぐに20キロの半径の住民たちの避難を要請したが、避難域はさらに拡大している。
いち早く、アメリカ大使館は東京から疎開したばかりか、自国民に日本国外に退去するよう勧告した。福島県沖に向かった空母、「ロナルド・レーガン」、及びイージス艦をふくむ艦隊も反転し、西太平洋に退去した。
フランスも、大使館員を帰国させている。むろん、ほかの各国も、おなじ行動をとっている。
被災した原発付近の住民の県外避難もはじまって、避難先を転々とする人たちも疲労と不安のいろが濃くなっている。
私は、戦時中の「疎開」を思い出した。
私の知人の中国人女性、張さんも、17日に、家族といっしょに成田から帰国した。私は、千葉駅で会ったが、あわただしい別れだった。千葉駅は、「計画停電」で構内は薄暗くなっている。
もうひとりの女性、路さんも、19日にマレーシアに旅立った。電話をくれたが――何かあってからでは遅い。幼い子どもを少しでも安全な場所に移したい、という。屈託のない、明るい声だった。
私は、刻々と報道される福島の原子力発電所の惨状をつたえるNHKの報道、特に放射能の人体におよぼす危険性は、ほとんどないとするコメンテーターの論理、そして政府の枝野官房長官の発表を見ながら考えた。
何かに似ている。さて、何に似ているのか。
不意に思い出した。戦時中の大本営発表によく似ているなあ。陸軍報道部の松村 秀逸大佐や、海軍報道部の平出 孝雄海軍大佐の発表にそっくりじゃないか。
第2号機のサプレッション・ルームの一部が損傷し、外部に放射性物質が流れ出した(15日午前6時)からあとの対応が遅れた。おなじ時刻に、第4号機が爆発し、さらに9時に火災を起こした。
政府と東電は、ようやく事故対策統合本部を立てた(15日)。
このときの東電側の発表、それを解説したNHKのコメンテーターの顔つきのしらじらしさ。人体に影響のない程度の放射能漏れという。まことしやかに、ウソをついている、ぬけぬけとした顔つきのようすが大本営発表にそっくり。
今度の大震災は、さまざまなことを私たちにつきつけている。
地震被害の拡大、原子力発電所の深刻な事故に乗じて、東京の株式市場での、日経平均株価が、急激に下落し、円高、株価の歴史的な全面安という事態に見舞われている。
閣僚の与謝野某は、このニューズに、ただひとこと、「不見識」といい捨てたが、そんなことをいうほうが不見識なのだ。ハゲタカは、いつも屍肉をねらっている。
戦争は平和の裡にある。天災は、じつは人災にほかならない。
天災は忘れた頃にやってくる。そうではない。天災は私たちが忘れようと、忘れまいと、そんなことにおかまいなしにやってくる。
そして、ガソリン、軽油、灯油の払底。庶民の買いだめ。買いあさり。
日本人は、大正12年の関東大震災から、何度もおなじ行動のパターンをくり返している。やがて、私たちは思い知らされるだろう。
繁栄のなかにこそ、欠乏があるという逆説的な事態を。