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戦後すぐに、ヴァン・デ・ヴェルデの『完全なる結婚』がベストセラーになった。性の解放は社会的な現象になる。おびただしいカストリ雑誌が氾濫する。解禁された性、エロティシズムに対する関心が、戦後の気分の大きな流れになった。戦時中きびしく抑圧され、禁圧されてきた「性」が、戦後、あからさまに表現されるようになった。(『完全なる結婚』の初版は、1946年11月)。

5年後(昭和26年/1951年)、湯浅 真沙子の歌集、『秘帳』が出版され、もうひとりの女性歌人、中城 ふみ子の『乳房喪失』とともに注目される。
さらに5年後(昭和31年)、別の出版社から再刊されたが、このときはもはやほとんど話題にならなかった。戦後のエロティシズムは、『秘帳』のレベルをはるかに越えたものになったからだろう。
私自身は、昭和26年にも、昭和31年以後にも、この歌集、『秘帳』を読まなかった。ただ、関心がなかった。

現在、「文学講座」というかたちで、さまざまな分野の作品を読み直しているのだが、たまたまこの歌集を読んだ。

詩人の川路 柳虹が序文を書いている。

この歌集は女性みづからの肉体的欲情を露はに歌ったといふ点で、一寸類がないものかと思ふ。いはば暴露的表現で、中には露骨だけで歌としては拙劣なものがあると思うが、大胆率直といふ点と、自ら臆せず性欲と肉体愛を歌ふことの正義感をもつてゐるような点で、一つのドキューメントとしても男性の歌にさへかつて無かったものである。

なるほど、戦後すぐに「女性みづからの肉体的欲情を露はに歌った」ものと見ていいが、短歌として、さほどすぐれた歌集ではない。作者には「性欲と肉体愛を歌ふことの正義感」といった気負いはないだろう。全体に「大胆率直」というより、戦後の女性が素直に「性欲と肉体愛を」歌ったものと私は見る。
この歌集が注目に値するのは、ごく普通の女性が自分の境涯を見つめながら、性生活の自然な感動を歌ったことにある。

歌集『秘帳』は新婚のよろこびを詠んだ歌からはじまる。

 

    おとめの日おもひいでては夢のやう わが肉体を流す湯の水

    処女膜はすでに手淫にやぶられてありしか 痛みそれとおぼえず

    愛情のきわまりつひに肉体のまじはりとなる戀ぞうつくし

    片時もそばにあらでは休まらぬ この心知るひとは君のみ

    おもはずも声立ててける吾が口を 手もて蓋ふ 君憎らしき

    色情狂と人のいふらし 狂ふまでの愛あらば いかに嬉しからまし

 

『秘帳』にはまったく露骨な表現はない。「戦後」、この程度の表現が世間の耳目を聳動させたのか。
「愛情のきわまりつひに肉体のまじはりとなる戀」が、「戦後」のあらたな希望だった。比較のためにあげておくが、現在の日本では――あるアンケート調査によれば、セックスレスでもかまわないと答えた男性が37.8パーセント。女性は、37.2パーセント。
セックスレスのほうがいいという回答は、男性で5.9パーセント。女性は、21.5パーセント。

湯浅 真沙子が、現在のような、セックスレス、「草食系」、あるいは、雑誌、週刊誌などのセックスの特集記事を見たらどんな歌を詠んだろうか。
つい、くだらないことまで連想してしまった。     (つづく)