しばらく前に、ワキ役俳優、アンデイ・デヴァインのことを書いた。
舞台や映画で、たくさんの俳優や女優を見てきたので、アンデイのようなワキ役専門の俳優のことが心に残っている。
有名なスターたちと違って、ワキ役の俳優、女優たちのことはほとんど知られていない。私は、そのときどきに見た「彼」や「彼女」の姿、演技、ときには声まで思い出す。なつかしさもあるが、その俳優、女優たちの存在が、映画芸術をささえてきたことが思いがけないあざやかさでよみ返ってくる。
たとえば、ジェームズ・グリースン。
小柄で、痩せたアイリッシュの老人だった。今の私たちが、ビデオやDVDなどで見られる映画は、「毒薬と老嬢」ぐらいだろうか。
この映画では、頭のおかしい殺人者の老嬢たちの邸にやってきて、主役のケーリー・グラントをあわてさせる刑事をやっていた。タフで、鼻っ柱がつよいが、人情にあつい。そんな「役」が、ジェームズ・グリースンにぴったりだった。
(ニューヨークの警察官、刑事には、アイルランド系が多い。)
もともとブロードウェイ出身の演劇人だった。劇作家、演出家として知られたが、プロデューサーをやったり、俳優として舞台に立ったり。
やがて、映画、さらにはTVに出るようになった。
それだけに、舞台というものを知りつくした俳優だったはずである。そして、ほかのおびただしい俳優、女優たちの「運命」を見つづけてきたはずである。
「幽霊紐育を歩く」Here Comes Mr.Jordan(1941年/コロンビア)に出て、42年のアカデミー賞の助演男優賞にノミネートされた。
(「天国からきたチャンピオン」(1978年)は、この映画のリメーク。)
私は戦後に見たのだが、主演のロバート・モンゴメリがへたくそな芝居をしているのに、ジェームズ・グリースンがやたらに達者な芝居をしているので感心した。
このあたりから、ジェームズ・グリースンが出ている映画は必ず見ることにしたのだった。「ブルックリン横町」、「タイクーン」、「恋は青空の下」など。
まず、「ブルックリン横町」は、エリア・カザンの監督第一作。ドロシー・マッガイアー、ジョーン・ブロンデルという異色女優の起用に若いカザンの気負いが見える。
「タイクーン」は、ジョン・ウエインのアクションもの。まだ、それほど知られていなかったアンソニー・クィンがワキで出ていた。
「恋は青空の下」は、フランク・キャプラが戦前に撮った「其の夜の真心」のリメークもの。「戦後」のキャプラの彷徨と枯渇がまざまざと感じられる。
ジェームズ・グリースンは、戦前の「群衆」(41年/フランク・キャプラ)にも出ているが、この映画ではほとんど目立たない。
戦時中、アメリカに亡命したジュリアン・デュヴィヴィエが、ハリウッドで撮った映画に「運命の饗宴」(Tales of Manhattan/42年)がある。
これは、オムニバス映画。第3話は、貧しい音楽家が、大指揮者に認められて、カーネギー・ホールで自作の交響曲を指揮することになる。貧しいので、当日着て行くタキシードがない。教会の神父さんの計らいで、妻が質流れのタキシードを手に入れて、破れたところをつくろって、夫の門出を祝うのだが……
貧しい音楽家の夫婦を、チャールズ・ロートン、エルザ・ランチェスターがやっていた。ふたりは、現実にも名優・名女優のカップルで有名だった。
音楽家が、満場の嘲笑を浴びたとき、厳然として彼をかばう大指揮者を、フランスの名優、ヴィクトル・フランサン。
ジェームズ・グリースンは、ニューヨークの貧しい教区で、しがない人々の生活を応援している神父さん。セリフもほとんどない「役」だが、これがとてもよかった。
戦後の映画のなかで、ジェームズ・グリースンの存在はいつも輝いていた。
ジェームズ・グリースンの最後の出演作は、スペンサー・トレイシー主演の「最後の挨拶」だが、日本では公開されていない。
ジェームズ・グリースンは、1959年に亡くなっている。
こんなことばかり書いているから――きみのブログは「地味」だねえ、といわれるのだが。