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歳末、思いがけないことから阿佐ヶ谷の、さる病院に緊急入院した。

最近の私は、幸運と不運が折り重なってやってくるらしい。
12月11日、私はほんとうに幸福だった。この数年、私は「現代文学を語る」という連続講座をつづけているのだが、この日は「戦後の映画批評について」語った。
たまたま、映画批評家、荻 昌弘の仕事を論じることになったのだが、令嬢の荻 由美さんが、わざわざ軽井沢から聞きにきてくれた。おなじ軽井沢在住の作家、山口 路子さんが知らせてくださったという。ありがたいことであった。おふたりに心から感謝している。

さて、講義を終えたあと、暮れなずむ冬の繁華街、小さな旗亭で、私を中心に、クラスの有志によってささやかな忘年会が開かれた。とても楽しい集まりになった。

現在の私はほとんど酒をたしなむことがなくなっているのだが、この夜はほんのわずかアルコホルを頂くことにした。
その宴の終わりに――不覚にも意識が途切れた。

私のようすがおかしい、というので救急車が呼ばれたらしいが、担架に乗せられたときはもう意識も恢復していた。
だが、たちまちにして私は救急患者とあい成った。おのれの運命の拙なさにあきれるばかりである。

現在、まったく心身爽快。

日曜日の夜、評判のドラマ「坂の上の雲」(子規逝く)を病室のテレビで見た。兄、子規の死をみとった妹(菅野 美穂)を見ていて涙が出てきた。病室で、このドラマを見たせいもあるだろう。
あとは「文学講座」のために準備した新刊の『映画監督ジュリアン・デュヴィヴィエ』という500ページの大冊を読みつづけている。
「舞踏会の手帳」、第二次大戦のデュヴィヴィエのアメリカ亡命に関して、私の『ルイ・ジュヴェ』に言及がある。

以上、近況報告。
いろいろ世話をしてくれた安東 つとむ、田栗 美奈子、村田 悦子、濱田 伊佐子、真喜志 順子、見舞いにきてくれた立石 光子、池田 みゆき、吉永 珠子、そして私の身を案じてくれたみなさんに、心から感謝している。